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 昼休みの終わりが近付くと、私は席を立った。友人と話すため、友人の前の席である佐久早の椅子を借りていたのだ。佐久早はバレー部のミーティングで忙しくしている様子なので咎められることはない。午後の授業は何だったかと頭を巡らせている時、「おい」と後ろから戸惑いを含んだような声がした。

「何?」
「……ついてる」

 佐久早は少し居心地の悪そうな顔をして私のスカートを指さした。咄嗟にスカートに触れると、中心部から温かい液体の気配がする。管理アプリの通知を思い出し、私は血の気が引いた。今日、生理が来たのだ。

 血を漏らしてしまったことはどうでもよく、佐久早の椅子を汚してしまったという罪悪感ばかりに支配された。佐久早は言わずと知れた潔癖だ。他人の経血がついた椅子など嫌に違いない。私はハンカチを取り出し、慌てて屈んだ。

「本当にごめん、拭くから」
「いい。椅子にはついてない。それよりお前、大丈夫なのかよ」

 佐久早に窺うような目線をかけられ、佐久早が生理に伴う体調変化のことを指しているのだとわかった。幸い私は生理痛が軽い方だし、予鈴が鳴ったばかりなので生理ナプキンをつける時間くらいならある。

「心配してくれてありがとう。今からトイレにダッシュすればなんとかなると思うから、大丈夫」
 早速向かおうとした私の手を、佐久早が掴む。
「これ、巻いとけ」

 佐久早が自らのカーディガンを脱ぐ様子を私は唖然として見ていた。佐久早は潔癖だ。生理中の女が自分の椅子に座るだけでも嫌だろうに、経血のついたスカートに自分のカーディガンを巻くなど自殺行為ではないだろうか。

「……いいの?」
「いいからやってんだろ。早くしろ。教室に人が戻ってきてる」

 佐久早は私が生理中であることを知られることを恐れているらしかった。確かに血のついたスカートで歩くことは恥ずかしいが、トイレに行くくらいならば我慢できる。佐久早が潔癖の壁を破ってでも気遣いをするということが、私の目には新鮮に映った。

「ありがとう」

 好意を無下にするのも憚られる。私が素直に佐久早のカーディガンを巻くと、佐久早は満足した表情をして自分の席についた。佐久早のカーディガンはかなり大きかったが、きつく締めることでなんとか私の腰に巻くことができた。佐久早の制服の一部を身につけていることで、私は別の意味でクラスの注目を集めたようだった。佐久早はクラスメイトに探られるのも嫌ではないのだろうか、とふと思う。だがカーディガンを経血まみれにすることに比べたらましなのだろう。佐久早の気遣いのおかげで、私は無事午後の授業が始まる前にナプキンをつけることができた。スカートは替えることができないので、家に帰るまでそのままだ。すっかり噂になってしまったと感じながら帰宅し、クリーニング店にスカートとカーディガンを出した。週明け、菓子折りと共にカーディガンを差し出す。

「これ、本当にありがとう」
「ああ」

 佐久早があまりにも平然としているので、言葉が口をついて出た。クラスは私達の噂でもちきりだった。

「ごめん。私のせいでカーディガン汚すし、色々詮索されるし。佐久早が困るなら、私があの時生理だったって言ってもいいから」

 私が言うと、佐久早は呆れたように目を細めて私を見た。

「男が女子の生理を言いふらすのがどれだけ気持ち悪いかわかるか」
「いや……でも……噂になるのが嫌だったら」
「噂になるのが嫌な相手にカーディガン貸すかよ」

 私がその言葉に含まれる意味を汲み取ろうとした時、佐久早は遮るように口を開いた。

「どうしても悪いと思ってんならお前のカーディガン一枚貸せ。それでチャラだ」
「佐久早は私のカーディガン着れないだろうし、貸しただけでチャラになんてならないよ」
「そこまで言うならお前のカーディガンで死ぬほど気持ち悪いことするけど」

 佐久早の瞳を見て、佐久早が何を示しているのか察してしまった。元々生理というのは性にまつわることだから、平等にするとなればそうするしかないのだろう。

「やっぱ、いい。しなくていいです」
「そりゃよかったよ」

 佐久早はカーディガンを受け取り、教室に戻ってしまう。残された私は体中が熱くなるのを感じながら立ち尽くしていた。佐久早はどこまで本気だったのだろう。廊下に消える佐久早の背中を見る。すっかり私達が付き合っていると思っているクラスメイトと思わせぶりな佐久早のいる教室で、私はどんな顔をすればいいのだろう。