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 コートを大きく飛び出したボールが跳ねる。事前に示し合わせた回数を終え、治は頼りない足取りでドリンクを取りに行った。今は居残り練習とはいえ、練習に気を抜くことは許されない。本人に手を抜いている自覚はないのだろうが、侑からすれば不調を起こすような選手は不要だ。

「おい」

 侑が声をかけると、治は目だけを侑へ向けた。

「あんなしょぼい女にフラれたくらいで調子崩すなや」
「何やと?」

 侑でも滅多に聞かない、地を這うような治の声が響く。周りの部員が危機感を抱いて狼狽えるのがわかった。これから侑と治は喧嘩になることだろう。だが侑は自分の言葉に後悔していない。恋愛に現を抜かしてバレーに影響を出すなど、自己管理のできていない証拠だ。

「お前にとってバレーはあのブス以下なんか!」
「もういっぺん言ってみろや!」

 体育館中に響き渡る怒号を合図に乱闘が始まった。どこからか聞きつけたらしいギャラリーが体育館を覗き込む。結局、三年の部員が強制的に引き離し監督が到着するまで乱闘は続いた。お叱りは後、まずは傷の手当てだと言われ二人は人のいない保健室に閉じ込められる。喧嘩直後の人間を二人きりにするのはどうかしていると思う。重い沈黙に耐えかね、最初に口を開いたのは侑だった。

「俺は間違ったこと言ってへんからな」

 恋愛の面倒事を部活に持ち込むべきではないという主張は変えるつもりない。だが治が腹を立てていたのはそこではないようで、鋭い目で侑を睨んだ。

「名前がブスや言うたやろ」
「はぁ? そんなん気にしとんか」

 侑は呆れてしまうが、治は本気で怒っている様子だ。これは撤回するまでへそを曲げたままだろう。侑は仕方なく口を開いた。

「あー、可愛い可愛い。治の彼女はそこそこ可愛いで」

 そこそこという言葉に引っ掛かった様子ではあるが、治は心を落ち着けた様子だ。ようやくいつもの二人に戻れるかと思いきや、突然保健室の扉が開いた。

「ふ、二人が私の事で喧嘩したって聞いて……!」

 現れたのは治の彼女、いや元彼女の名前である。二人は唖然として名前を見た。確かに名前のせいで喧嘩をしたことは否めない。だが、内容は名前が考えているようなものではないのだ。

「私のために争わないでっ……!」

 必死な様子の名前と、呆然としている二人。二人との温度差に名前は気付いていない様子だ。仕方なく侑が口を開く。

「アホか。誰がアンタみたいな女好きになるか」
「えっ……? 違うの……?」

 助けを求めるような目が治を向く。治は子供のような顔で名前を見返した。名前が愛想を尽かして治をフったのだと思っていたが、蓋を開けてみれば名前にも結構気持ちは残っていそうだ、と侑は思った。

「治は?」

 恐る恐るといった様子で名前が聞く。治は静かな声で「好きやで、名前のこと」と言った。名前の瞳が揺れる。二人は今にも抱き合いそうな雰囲気だ。

「俺の前で甘酸っぱいのやめろや!」

 侑は一言叫んでから、先に保健室を出ることにした。心配せずとも、明日には治の調子も元に戻っていることだろう。