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 事の発端は、私が職場の男性に声をかけられたことだった。

「苗字さん彼氏いるって言っても大阪との遠距離なんでしょ? 発散にどう?」

 相手に知られなくとも浮気は浮気だし、同僚をそういう目で見られない。私は断ったはずだったが、それでも諦めきれなかったのか同僚は飲み会の後私を送ると言って聞かなかったのである。最寄駅で二人で揉めているところを偶然東京に来ていた彼氏――聖臣に発見された。「お前何だよ」と偉そうにしていた同僚も、聖臣の姿を見て慌てて帰って行ったのだ。私の雰囲気から、付き合っているのは軟弱な男だとでも思っていたのだろう。聖臣は私の手を引いて帰ると、部屋に着くなり「付き合ってるのを公表する」と言った。

「ま、待って。やめようよ。聖臣にもファンがいるんだから」
「ミーハーなファンはみんな宮に行くだろ。俺についてるのは男のバレーマニアだ」
「それでも公式で彼女がいる選手がいたら、デメリットの方が大きいよ」
「俺にとってはメリットの方がでかい」

 確かに聖臣のファンは、女の子というより男性ファンが多かった。だが差し入れをしてくれる女の子も少なからずいるわけで、この時代に公式マークのつく人が恋人を公表するメリットはないのではないかと思う。

「結婚を公表するのなら聞くけど、恋人がいるって公表するのはおかしいよ……」

 声に出してから、これでは結婚を迫っているみたいだと思った。だが実際に週刊誌に撮られる以外で恋人を公表した人は聞かない。私達が恋人である限り、公式に宣言したくないというのが私の考えである。

「なら結婚したら許してくれるの」

 聖臣の瞳が私を捉える。私は何も言えないまま固まった。聖臣が私との結婚を示唆するのはこれが初めてだった。

「結婚したら、正式に俺のものになってくれるのか」

 聖臣が言っている「正式」とは、国中に恋仲であることを知らせるという意味だろう。だがそんなことをしなくても私はとっくに聖臣のものになっているつもりだし、だからこそ同僚の男性を断ったのだ。私は聖臣の手を取り、宥めるように撫でた。

「そんな焦るように結婚することないよ。普段から聖臣の彼女ってわかるように、聖臣のグッズとかつけとくから」
「それだとただのバレーファンって思われるだろ。やっぱり指輪をつけとくのが一番いい」
「結婚はもっと大事な時にするの!」

 結婚を急ごうとする聖臣に慌ててストップをかける。男を寄せ付けないための手段としてするのではなく、愛を深めるために結婚したいと思うのは普通のことではないだろうか。

「聖臣もテレビで結婚のことについて聞かれて男避けのためとか言うのは困るでしょ?」
「名前のことについては一切話さない」

 先程までは付き合っていることを公表すると言っていたくせに、見事な変わりように笑ってしまった。

「心配しなくても私は聖臣のこと好きだよ」
「そんなことはとうに知ってる」

 心配性な彼氏を落ち着かせるためにも、当分は男を避けて過ごそうと思った。