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それは偶然の出来事だった。気が向いたから実家に帰って、母親に買い物を頼まれて駅周辺を彷徨いていた。すっかり慣れたつもりでいる地元だが、数年も離れているとまるで知らない街だ。及川が改札出口の辺りを右往左往していた時、ふと改札から出てくる人と目が合った。あの頃より綺麗になって、化粧もしているが、及川が見間違えるはずもない。彼女は及川が高校時代の何年もの間密かに思いを寄せていた人・苗字名前だった。

ばっちりと目が合ったからか、僅かな下心からか、及川は足を止めて名前を見る。

「久しぶり」
「……及川? 久しぶりだね!」

目を細めて笑う顔はまるであの頃と変わらない。彼女を好きだった気持ちを思い出し、及川はどこか擽ったい気持ちになった。何年も片思いをしていた自分の諦めの悪さ。結局告白はできなかった青さ。それらが一度に蘇り、及川は誤魔化すように視線をどこか別の方にやる。

「名前はずっと地元?」
「うん。及川は地元離れたんだっけ。元気にしてた?」

及川の気持ちなど知らず、名前は呑気に世間話を繰り広げている。及川が何年間も自分のことを好きだったなど知ったら名前はどんな顔をするだろうか。言う気はさらさらないのだけれど。

思ったより会話が盛り上がっていることを察知し、及川の中に欲が芽生える。偶然帰省している中で、偶然出会えたのも何かの縁だ。このチャンスを無駄にしてしまっていいのかと。

「今度の日曜、空いてんの」

できるだけさりげなく尋ねた及川に、名前は笑顔で告げる。

「日曜日は結婚式なんだよね」

結婚。及川は呆気に取られたが、すぐに我に戻った。もう及川や名前だっていい大人だ。恋人もいるだろうし、結婚の話が出ていたっておかしくない。今でもあの頃と変わらず及川の手の届きそうな範囲で笑顔を向けてくれると思っていた及川の方がおかしいのだ。及川は何年にも及ぶ自分の恋が終わったことと、自分が今でもしぶとく名前を好きでいたことを知った。

「……あっそ。幸せになりなよね。これでも俺、ずっと好きだったんだから」

言わないと決めていた自分の想い。しかし結婚を前にした今言わなければ、及川は一生後悔する気がした。困らせてしまっただろうかと名前を見ると、名前はきょとんとした様子で目を瞬いていた。

「結婚式は友達のなんだけど……」

その言葉に、及川は自分が盛大な勘違いをしていたことを知る。

「及川って私のこと好きなの?」
「いや違っ……違くないけどさぁ!」

言ってしまったものは元に戻らない。及川は最悪な形で想いを知られてしまったわけである。といっても、勝手に勘違いした及川が悪いのだが。

「あ、でも『ずっと好きだった』から今はもう好きじゃないのか」
「いやもういいよ好きだよもう! デートしろ!」

捨て台詞のように言った及川に名前が笑った。気付けば名前のいいように転がされており、女を前にしているというのに及川はいつもの調子を取り戻せない。だがこうなったからには思いきり攻めるつもりだ。せいぜい今の内に笑っていてほしい。可笑しそうにする名前に、及川は密かに復讐を誓った。