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「名前って侑のこと好きだよね」
「え、そうかな?」
 二限と三限の間の女子トイレは、多くの女子でにぎわう。髪の毛のセットを直すもの、リップを塗り直す者。流石に化粧は禁止されているので、私達にできるささやかな抵抗は色付きリップを塗ることくらいだ。先月ドラッグストアで買ったリップを塗る手を止め、私は友人の方を見る。
「何でそう思うの?」
「何でって……見てればわかるよ。だから名前は多分、侑が好きなんだよ」
 そういうものなのか、と私は理解した。中学に上がって早二年、周りは色恋に目覚め始めている。そんな中で、私は誰とも付き合ったことがなかったし誰のことも好きになったことがなかった。いずれ勝手に誰かを好きになって、付き合ったり失恋したりするんだろうと思っていたけれどその「いつか」は思ったより早かったようだ。私をよく知るともちゃんが言うならそうなのだろう。私は自分で深く考えることを止め、侑が好きなのだと認識を改めた。だから侑が放課後に私を呼び出して告白した時も、「いいよ」と言った。それが、侑を好きな人のすべき行動だと思ったからだ。
「ほんまか」
 侑は嬉しそうに破顔して、その時私には少し違和感があった。侑は私と付き合えたことをそれほど喜んでいるが、私は同じくらい喜べない気がしたからだ。でも多分、まだ実感が湧いていないだけなのだろう。
 侑は私と付き合っていることを全学年に公開し、わざとらしく教室に迎えに来ることもした。侑の部活がない日は二人で一緒に帰り、私達は順調に恋人をやっていた。キスやそれ以上のことを求められたら抵抗があるかもしれないけれど、その時になったらなんとかなるだろう。
 ある日、侑は帰り道で私の隣を歩きながら言った。
「名前は何で俺のこと好きになってくれたん?」
 何で、と言われても気付いたら好きになっていたとしか言いようがない。私がそう伝えると、侑は少し照れたように視線を下げた。侑が大人しいのは珍しい。私達の間には確かに恋人らしい空気が流れていて、侑の横顔はどこか必死そうだった。
「ともちゃんが私は侑が好きなんだよって言ってて。それで、あ、そうなんだって思ったの」
「恋人らしい」空気にひびが入ったと思ったのはその時だ。侑は「は?」と言い、私の方を見た。到底彼女へ向ける顔ではなかったし、もう照れて私を見られない侑ではなかった。バレーの対戦相手を、あるいはクラスの気に食わない奴を攻撃するような顔が、私に向けられるとは思っていなかった。
「それで名前はどう思ったん?」
「ああ、そうなんだって」
「名前自身で好きやって思ったわけやないん?」
 侑の言い方はどこか縋っているようにも見える。侑らしくない早口で、私を責めるようにまくしたてる。私は戸惑いながら、ありのままを告げた。
「だってともちゃんが言うから」
「もういい」
 侑の顔に半分くらい影がさしていた。言葉の節々に棘があって、侑の表情を見ることができなかった。私は何か間違ったことをしてしまったのだろうか。これから侑の機嫌を元に戻せないかと慌てる私は、侑のれっきとした彼女のはずだ。それなのに、侑は傷付いた顔で私を振り返った。
「名前は俺のこと、なんも好きやなかったんやな」
 その表情は、しばらく経っても私の中にしみついていた。侑が言ったのか、翌日には私達が別れたという噂が流れていてああそうなんだと思った。私は多分、侑に悪いことをしてしまったのだ。恋をよく知らないゆえに、自分の意志ではなく友達の言葉を信じて侑と付き合って、侑を傷付けてしまった。侑は、恋愛経験のない私を好きになった被害者だった。十年経った今、恋も人間関係もままならなかった当時の自分を懐かしく思う。今の侑がスーパースターになったからもっと付き合っておけばよかったなんて思わないけれど、もう少し侑と一緒にいたらどんな日々があったのだろうと時折考える。私が恋に未熟だろうが、侑は私より少し情緒の成熟が早く、私を本気で好きでいてくれた。当時は何とも思っていなかったその気持ちが、今の私の支えになっていたりするのだった。