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「及川のせいで夏まで嫌いになりそう」
 そうこぼしたのは及川が単身南米に行ってからもう何度目かわからない夏のことである。今年も盆前の誕生日のタイミングで帰省した及川は、庭先で及川のお母さんから指示された日曜大工に励んでいた。暑い中ご苦労様である。
「何で俺のことは好きなのに夏は嫌いなんだよ」
 及川は私の方を見ずにそう言って笑った。まあおかしな話かもしれないが、そう言いたくもなるだろう。初めて及川に進路を告げられたのも夏。南米に行ってから、毎回及川が帰ってくるのも夏。及川を空港まで送るのも夏。どの季節にも、私は及川が好きだと言えていない。そんな私の気持ちはとうにバレていて、「俺のことは好きなのに」と本人に言われるありさまである。私の気持ちはいじってもいいものと判断されたらしい。もう少しセンシティブに扱ってくれてもいいのだけど、と唇を尖らせる。
「そんなに夏嫌い?」
 及川が手を止めて私の方を振り返った。どうやらお母さんに頼まれた棚の組み立ては一区切りついたようだ。お前のせいで嫌いなんだよと言うのは流石に悪いだろうか。いや、私の気持ちをいじってくる及川ならいいだろうか。私が迷っている間に、及川は出来上がった本棚を点検する。
「お前がよければ、今回は一緒に帰ろうと思ってたんだけど」
 横幅、三十センチ。縦幅、A4が入るサイズ。及川が本棚の出来を点検しているのが聞こえる。それがやけに遠い世界のように感じて、私は今日本の、いや地球のどこにいるのだろうと意識を遠くに飛ばしてしまった。けれどどう考えても、私がいるのは宮城の片田舎の及川の生まれた家なのだった。
「なに、それ」
「勿論強制とかじゃないけど。お前が一緒に向こうに行ってもよくて、仕事とか家族とか諸々の許可が下りて、そしたらの話」
 及川は相変わらず本棚を覗き込んでいる。それは普通、日曜大工をしながらする話なのだろうか。もっとかしこまって、夜景の見えるレストランで指輪を見せながらする話のはずだ。やはり私は舐められている。でも、そこで文句を言える余裕など私にはなかった。
「行く」
「わっ」
 急に背後に立った私に及川が驚いたような声を上げる。久しぶりに目が合ったような気がするが、多分私の及川を見る目が変わっただけだ。届かない人から、手の届く人へ。
「いや、だから両親の許可とか仕事の都合とかとった後でいいって――」
「それはなんとかする」
 言い切った私に、「お前って結構無鉄砲だよね」と及川が笑った。
「及川だけには言われたくない」
 及川は薄汚れた手で私の頭を撫でた。その表情はへらへら笑っている。今だけは汚れがつくこともいとわず、私は及川を見上げた。
「日本の夏が終わっても、向こうはまだ夏だよ」
「夏はもう、嫌いじゃないから」
 私が夏を克服できるのに十年の月日がかかった。それは及川に片想いをしていた期間と重なる。これからアルゼンチンで見る夏は、どんなものになるのだろう。予想がつかないまま、私は蒸し暑い空気の中で息をしていた。