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 初めてその言葉を聞いたのは、違うクラスの男子が教室を訪れている時だった。

「王様、今月の予定表取り忘れたデショ」

 長身で有名な彼は月島君と言っただろうか。格好いいと密かに噂になっていたのを覚えている。このクラスで王様とは一体誰なのだろうと思っていたが、答えはすぐに出た。隣の影山君が、席を立って予定表を取りに行ったのだ。

「……悪い」
「何? 声が小さすぎて聞こえなかったんだけど」
「聞こえてるだろうが!」

 クールな影山君もあんな風にして怒るのだと思った。しかし、それより衝撃的なのは影山君が王様と呼ばれていることだった。どうして影山君は王様なのだろう。名前を捩っているわけではないし、渾名としてメジャーなものでもない。影山君は月島君に負けず劣らず格好いいから、アイドル的な意味で王様と呼ばれているのだろうか。だとしたら少し頷ける気がする。影山君にアイドルのような愛想の良さはないものの、見た目や言動の格好良さは認める他ない。

 影山君が自席に戻ってから、私はそっと話しかけた。

「影山君は王様っていうより王子様って感じだよね」

 これは影山君に少なからず好意を寄せている私のちょっとしたアプローチである。てっきり影山君は照れるか、慌てて否定するものだと思っていた。しかし現実はどちらでもなく、月島君に見せたような威嚇の表情を私に向けるだけだった。

「王様でも王子様でもないっス」
「ご、ごめん……」

 影山君が私にこのような表情を見せるなど思ってもいなかった。私は影山君に余程不快な思いをさせてしまったのだろうか。その日はどこか気まずい思いをしながら一日を過ごした。その後で、王様というのは影山君のプレーを皮肉った渾名なのだと知った。だから影山君は嫌そうな顔をしたのだ。反省するも影山君は気に留めていないようで、数ヶ月の後私に告白してきた。私は勿論受け入れた。恋人となってからも、私は「王様」という言葉を避けるようになった。

「うん、やっぱり飛雄は王子様だよ」

 その言葉を口にしたのは実に九年ぶりだった。飛雄はまだ付き合ってもいない頃の出来事を覚えているだろうか。どちらにせよその言葉は飛雄にとって不快だったようで、飛雄は顔を顰めた。

「今真面目な話してんだが」
「もう終わったじゃん。嬉しかったよ? プロポーズ」

 私は破顔してみせた。ついさっき、飛雄は跪いて私に指輪を見せてくれたのだ。私の答えは決まっている。恋人から婚約者となって、ふと九年前の出来事を思い出したのだった。

「……王子様も、嬉しくない」

 飛雄は余程中学時代の渾名を嫌っているようだった。

「じゃあ何がいいの?」

 私が尋ねると、「旦那様になるんだろ」と飛雄はそっぽを向きながら言った。私は思わず笑う。もう渾名も策略も必要ない。飛雄は私だけのものになるのだ。