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 自分でもらしくないと思う。オーダーメイドのスーツを着て、花束を持って。高校時代のクラスメイトが少女漫画に声を上げていたのを鼻で笑っていたくせに、今の侑は絵に描いたようなプロポーズをする男そのものではないか。名前のマンションに行ってインターホンを鳴らせば、名前は簡単に侑を部屋に上げる。侑と名前はもう、そういう仲になってしまったのだ。名前は侑と結婚したいと思っているだろうか。少し前は、侑の方が結婚などしたくないと思っていた。だが名前を隣に留めておく手段はどう考えても結婚しかないのだ。侑は名前を幸せにする気などない。侑の幸せだけのために、名前を妻にしようというのだ。侑と結婚することは、ある意味で名前にとって不幸かもしれない。自分が女だったら、男前とはいえ執念深い男を伴侶にするなど御免だ。こんな最悪の男に好かれてしまった名前にはもう、覚悟を決めてもらうしかない。インターホンを押すと、名前は普段通りに受け答えをした。

「はい」
「俺やけど、入れてくれん?」

 どうせ名前は夜に思い立って発散しに来たとでも思っているのだろう。その間抜けな顔を、ドアを開けた瞬間に困らせてやる。侑はドアの前に待機し、開く音と同時に花束を差し出した。

「俺と結婚してくれ」

 時が停止したかのような沈黙が訪れる。当然だ。侑はこのようなことをするタイプではない。どちらかと言えば、夜景が見えるレストランで指輪を差し出す方が似合う。名前はしばし黙り込んだ後、思い出したかのように口を開いた。

「私達、付き合ってたん?」
「ハァ!?」

 これに大声を出したのは侑である。ここがマンションの廊下であるということを忘れ、侑は凄まじい勢いで名前に叫んだ。

「どう考えても付き合ってたやろが! お前は俺の彼女や言うたやん!」
「誰にでも言っとるんかと思って」
「お前だけじゃアホ!」

 侑の言葉は到底結婚を乞う者のそれではない。名前の前では否定したものの、数年前までは複数の女に言っていたことは事実だ。

「――とにかく」

 侑は努めて冷静を保つ。

「俺はお前と結婚するから、お前は引っ越しと婚姻届の手続きだけすればええ。明日空いとる?」

 名前が当然のように頷くと思っていた侑は、次いで語られた言葉に度肝を抜かれた。

「私まだ頷いてへんよ?」

 そうだ。どさくさに紛れて合意の方向で進めたが、結婚とは本来双方の合意が必要なものなのだ。名前は何も考えず侑にどこまでもついてくる、とは侑の妄想なのかもしれない。

「……どうなんや」

 侑はこの日初めて窺うような視線を名前に向けた。かつて侑が名前にここまで低姿勢になったことがあるだろうか。名前は小さく笑った後、「ええよ」と言った。

「言っとくけど、自分でちゃんと考えて決めたからな」

 今日も、これまでだって、名前は侑に流されるままに決めたわけではないのだ。名前の意思などいらないと思っていたが、二人に意思が存在するというのは想像していたより素晴らしいことなのかもしれないと侑は思った。

「驚かせんなや」
「ええやん、ちょっとくらい」

 侑はポケットの中の婚姻届に触れながら名前の家に入る。今日、脅すようにして署名させなくとも大丈夫そうだ。名前が自分の意思で侑といたいと思うならば、いつまでも。