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「祭り、行こか」

市丸隊長からそう言われたのは突然だった。夕暮れ時の三番隊の執務室には既に私達以外誰もおらず、私も仕事を終えて帰るところだった。

「はい」

その返事をするのに迷いはなかった。何しろ私は市丸隊長に惚れている。そのことに、本人にも気付かれている自覚はある。だけれど私は告白をしないから市丸隊長はどうすることもできない。本人はそれを不自由に思っている様子はなかったし、むしろ楽しんでいるようでもあった。自分の一挙一動に私が慌てふためく様を。

本当に難儀な人を好きになってしまったものだ。今回もこうやって、無駄に期待をさせて弄んでいるに違いない。そうわかっていても私は行く以外の選択肢はない。好きな人とのデートが、嬉しくないはずないからだ。


待ち合わせ時間の五分前に行くと、既に市丸隊長は浴衣を着て待っていた。

「すみません、お待たせしましたか」
「いや? 待ってへんよ」

この人のことだから私が五分前に来ることを見越してちょうどその時間に着くように出てきたのだろう。私は改めて市丸隊長を見た。

「……浴衣、似合ってます」

普段の死覇装とは違う白色の浴衣は、余計に市丸隊長の色気を際立たせて見えた。私が素直に褒めると、隊長はカラカラと笑った。

「女が男の浴衣姿褒めるて。普通逆やん。似合っとるで」
「……ありがとうございます」

例えそれが社交辞令であっても、私はこの一言を永遠に反芻し続けることだろう。「ほな行こか」の一言と共に歩き出した市丸隊長を私は慌てて追いかけた。

「へー、色々あるんやなぁ」
「市丸隊長、あれとかどうですか」

私が指差したのはかき氷だ。ただでさえ暑いのにこの人混みで凄まじい熱気に当てられている。まず冷たいものを食べて、それからゆっくり祭りを楽しみたい。

「ええよ」

ちょうどかき氷の屋台は並んでいなかった。市丸隊長はそう言ってかき氷を二つ注文し、硬貨を一つ手渡す。

「た、隊長。私の分は支払います」
「ええわ。ここは奢られとき」

それは部下だからなのか、それともデートだからなのか。聞く勇気は私にはない。市丸隊長が財布をしまってしまうものだから、私は仕方なくかき氷を頂くことにした。

「美味しいです」
「ほんま? それならよかった」

なら今度はあっち行こか、と指差した屋台は唐揚げやたこ焼きなどの食事系で、これもまた自分が食べたいと言ったのだからと奢られてしまうことになった。

「名前ちゃん楽しんどる?」
「奢られてばかりで申し訳ないです」
「そこは嘘でも楽しい言わな」

市丸隊長はそう言って笑う。勿論私は楽しいに決まっている。市丸隊長がいれば、私は何をしていたって楽しいのだ。
すると向かいから、よく知った顔を見つけた。六番隊の阿散井恋次と我が副隊長吉良イヅルだ。

「おっ! 久しぶりじゃねえか名前」
「こんばんは、市丸隊長」

恋次とイヅルはそれぞれ声をかける。簡単な挨拶が終わった後、二人はこの空間の異様さに気が付いたようだ。

「……デートか?」

私達二人を見比べた後、恋次は私の方を向いてそう言った。確かに誤解されるだろうとは思っていたけれど、実際に市丸隊長にも聞こえるように言われたらどうしていいかわからない。それ以上に今のこの状態はデートなのか、デートではないのか、私にはわからない。

混乱する私の手が突然ひんやりとした手に包まれる。それが誰か気付くより早く、市丸隊長が有無を言わせぬ口調で恋次に笑いかけていた。

「デートやで、これ」

私の手を握っている手は、市丸隊長のものだ。二重の喜びに耐えられず、頭が爆発しそうになる。

「そ、そうですよね。失礼しました」

イヅルが恋次を引っ張ってどこかへ行っても私はまだ夢の世界にいた。

「ほな次は、射的でもやろか?」
「は、はい!」

慌てて市丸隊長の背を追い、市丸隊長と並んで的を狙う。だが緩みきった恋愛脳の私に射撃が務まるはずもなく、私は市丸隊長に惨敗した。
「いくらなんでも弱すぎやろ」と笑う市丸隊長はきっとその理由をわかっているに違いない。その上でその理由に触れない、ずるい人だ。

気付けば人は減り、祭りは終わりに近づいていた。既に閉まっている屋台もちらほらある。私は市丸隊長の袖を引き、ある屋台を指差した。

「最後にやっていきませんか? 金魚すくい」

祭りの終わりとはデートの終わりを意味する。せっかく市丸隊長に与えられたこのデートに、最後に何かの思い出が欲しい。そんな思いで金魚すくいを提案すると、市丸隊長は快く了承してくれた。

「ほなやろか」

客は私達二人しかおらず、二人並んでポイを構える。そっとポイを近づけても華麗に躱してしまう姿はまるで市丸隊長のようだ。それでも一匹、二匹と取っていると三匹目で遂にポイが破れた。

「こっちも似たようなもんや」

既にポイが破けてしまったらしい市丸隊長のお椀の中には金魚が四匹。争っていたわけではないが、市丸隊長に負けてしまった。それでも動揺してばかりだった射的よりはいい結果を残せたのではないかと思う。

二人分をビニールの袋に移し替えてもらうと、私達は水槽の前から立ち上がった。気付けば境内のかなり奥まで来ていたようだ。

「もう終わりみたいやし、帰るか」
「……そうですね」

この位置からならば、屋台の並ぶ道を通るより周りの林の中を突っ切った方が早い。市丸隊長は林の中を踏み出すと、私の手を握った。私は手を握られたまま市丸隊長の半歩隣を歩く。林の静寂の中で遠くの祭囃子が変に浮いていた。少し離れた位置にある街灯が、市丸隊長の横顔を照らしていた。

永遠にこの時間が続けばいい。繋いだ手を見ながらふと思う。しかし林の出口はもうすぐそこだ。恨めしく思っていた時、ふと市丸隊長の手に下がるビニール袋に目が行った。

「市丸隊長の金魚、凄く綺麗ですね」
「ん? どれ?」

これがもっと市丸隊長といたいという苦し紛れに気付いているのかいないのか、市丸隊長は素直に手にしていたビニール袋を掲げた。

「ほら、この。赤と黒が入り混じった金魚、凄く綺麗です」

私の目の高さまで上げられたビニール袋に顔を寄せると、中にはまだ小さな金魚が優雅に泳いでいた。その中には、確かに話題にできるほどの綺麗な金魚が一匹いる。

「私地味なのばかりだから、」

羨ましくて。その言葉は声になる前に消えた。市丸隊長がビニール袋を下ろしたからだ。お互いに目の前で金魚を覗き込んでいた私達は間にビニール袋を挟むのみだったのだ。そのビニール袋がなくなった今、目の前に市丸隊長の顔がある。

「名前」

もう金魚だの言ってられない。間近に迫った市丸隊長に名前を呼ばれて、私はただ市丸隊長を見つめた。その顔が迫ってきた時、私はそっと目を閉じた。
音もない、ほんの数秒の触れるだけのキス。それだけを残して市丸隊長はまた前を向いた。

「隊舎まで送ってくわ」

そう歩き出す市丸隊長の手を、今度こそ私から握る。市丸隊長は振り返って数秒私を眺めた後、目を細めて笑った。