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※キメツ学園世界線
※転生


「お前と不死川は恋人同士じゃなかったのか」

きっかけは冨岡さんのこの一言だった。よくある転生ものとは違い、私は前世の記憶が一から十まであるわけではない。なんとなく時代背景や日々の暮らしは覚えているものの、時が経てば旧い知り合いを忘れてしまうように、前世の知り合いだと言う人物を見てもどのような関係だったか思い出せないのだ。幸い大正時代から転生してきた人の中には私のように記憶が朧げな人やまるきり覚えていない人もいるようで、それによって不都合が生じることもなかった。冨岡さんとは前世でもよく関わっていた記憶があるのでこうしてお世話になっている。互いに残業を終え、駅へと向かう道すがらの発言に私は目を瞬いた。

「不死川って……実弥の方?」
「そうだ」

転生してきた不死川は二人いる。兄の実弥と、弟の玄弥だ。だが私は直感的に実弥の方だと思った。それは歳が近いからというわけではなく、もしかしたら前世で本当に因縁めいたものがあるからなのかもしれなかった。

「少なくとも俺には、そう映っていた」

冨岡さんはそう言って前を向いた。今日の職員室には、冨岡さん、不死川さん、それにカナエさんが残っていた。カナエさんのおかげで口数の乏しい男性陣も交えて雑談めいたものもしたが、その際に他人行儀だったことが気になっているのだろうか。

「そうなのかなぁ……」

私は初めて不死川さんと出会った時のことを思い出した。一目見た瞬間、体に走るものがあった。私はすぐに不死川さんを鬼殺隊の人間だと把握した。だがそれ以上のことは思い出せなかった。

「お前……」

不死川さんは珍しく目を丸くしたまま固まっていた。不死川さんが「お前」と言うのには違和感があった。それは普段不死川さんが「テメェ」と言っていたからなのか、本当は別の名前で呼ばれていたからなのか、分からなかった。もしかしたら不死川さんも、私を何と呼んでいいのか迷っているのかもしれなかった。

「ごめんなさい、私、記憶がまだ曖昧で」

そう言うと不死川さんは「そうか」とだけ残して去ってしまった。だがまるきり他人というわけではなく、言葉通り前世からの友人のように不死川さんは私が困っている時助けてくれた。それは不死川さん本来の優しさか、前世の私達の友情が為すものなのか計りかねていたが、本当は冨岡さんの言う通り恋仲だったからなのかもしれない。

だとしたら、私は不死川さんに失礼なことをしているのではないだろうか。不死川さんが前世の記憶があるかどうかを明言したことは一度もなかったが、冨岡さん達と接する様子を見ていれば不死川さんに前世の記憶があったと言われても頷ける。本当は不死川さんは私のことも覚えていて、私が不死川さんのことを思い出せないと言ったばかりにあくまで同僚の位置を守っているのではないだろうか。

「……教えてくれて、ありがとう」
「ああ」

いつも空気が読めず独特の空気を漂わせている冨岡さん。だがそんな冨岡さんだからこそ、他の皆が言えずにいたことを教えてくれたのだろう。


翌日、私は早めに仕事を切り上げると未だデスクにいる不死川さんにコーヒーを出した。

「どうぞ」
「……あァ」

不死川さんは驚いたような顔をしたが、素直に受け取った。前世の私は平隊士だったのだから、柱であった不死川さんとは上下関係だったのだろう。もしかしたら、こうやって給仕をしていたかもしれない。

周りに人がいないのを確認して、私はそっと不死川さんに語りかけた。

「今晩、一緒に飲みに行きませんか」

不死川さんは先程よりも大きく目を見開いて私を見ている。誰ととは言っていない。受け取りようによっては、大勢の飲み会に誘われたとも思うだろう。だが不死川さんが前世の私の恋人であれば、一対一で飲むことを意識してもおかしくはない。

「……十五分待ってろォ」

こうして私は、他にメンバーがいるのかどうかは不死川さんの想像に任せるという狡い方法のまま不死川さんと飲みに行くことになったのだった。

校門を出たあたりで不死川さんは私と一対一だということに気付いていただろう。しかしそれに対して何も言うことはなく、平然と私の横を歩いた。私が連れてきたのは、個室居酒屋だった。

「さあ、行きましょうか」

不死川さんは個室居酒屋の文字をじっと見つめてから、店内に入った。ここでお互いしっぽり飲んで仲良くなるはずだったのだが、不死川さんは頑なに二杯目に行こうとしない。生ビールを一杯頼んでそれだけだ。対する私は当初の想定通り飲みまくり、酔ったフリをして不死川さんに一歩踏み込んだ話を聞くはずが本当に酔ってしまっている。この調子では私が今夜秘めている計画も全て吐いてしまうかもしれない。不死川さんは顔色一つ変えず、まるで職員室にいる時のような表情でお通しを食べていた。

「何で不死川さんはそんなに私に素っ気ないんですか……」
「普通だ」

もう酔いが最高潮に達したのか、距離を縮めてから聞こうと思っていたことをそのまま口に出してしまう。不死川さんはどうでもいい様子で箸を進めていた。本当は記憶があって私との仲を面白く思っていないはずなのに、そうやって平気なフリをしている所が鼻につく。

私は向かいの席から不死川さんの隣に移動すると、不死川さんの肩にもたれた。

「場所を変えませんか。前世でのこと、思い出させてください」

ここが個室居酒屋でよかったと思うと同時に、今の私が最高に酔っていることを自覚する。普段の私はこんな大胆なことはしない。いくら前世で恋仲だったとしても、それまでただの同僚だった男性を、きちんと段階も踏まず誘うような真似もしない。もしかしたら私は不死川さんのことが好きなのだろうか。それは、前世で恋仲だったと言われたから? それとも、また一から不死川さんに惚れ直したから?

不死川さんは自分の肩にへばりつく私を見ると、特に剥がしもせず見下ろした。

「しねェ」
「何でですか。いいじゃないですか」
「お前とはしねェって言ってんだ」

その言葉に、私のプライドや期待のようなものが打ち砕かれる。不死川さんは前世の私の恋人だと知ってから、どこか私のことを好きなのではないかと思っていた。私が不死川さんを好きなのかも分からないのに、まるでフラれた気分だ。

「一回くらいしてくれたっていいのに、不死川さんの馬鹿ぁ……」

ぽろぽろと泣き出した私を不死川さんは驚いたように見た。

「お前、一体何だってんだよ。泣き止め。とりあえず泣き止め」

あの冷静な不死川さんが今少し取り乱している。そのことに少し嬉しくなりながらも、私は抱き寄せられるままに不死川さんの胸に顔を当てた。前世の私とはよくこうしていたのだろうか。不死川さんさんの心臓の音は至って普通だ。少しくらい、鼓動が早くなってもいいのに。

「お前今日おかしいぞ。一体何があった」
「だって冨岡さんが、前世で私達が付き合ってたって言うから……」
「冨岡の野郎……」

不死川さんの感情が一気に怒りに変わるのが分かった。冨岡さんと不死川さんは確かにあまり仲が良くない。でも、前世で私と付き合っていたことはそんなに知られたくないことだったのだろうか。

「私と付き合ってたって、本当なんですか?」

不死川さんの胸から顔を上げて不死川さんを見ると、不死川さんは気まずそうに目を逸らした。これは、付き合っていたことが不死川さんにとって隠したい過去なのだろうか。それとも、他に後ろめたいことがあるのだろうか。私がじっと見つめていると、不死川さんは観念したように口を開いた。

「……付き合ってなかった」
「え?」
「だから俺達は付き合ってなかったんだよ! まァ俺はお前を好きだったし、お前も多分……俺を好きだったから、周りには付き合ってたように見えてたかもしれねェけどな。実際は両思いだって分かってたのに、お前を不幸にするのが怖くて手を出せなかった。そんで死んじまった」

私は呆然と不死川さんの話を聞いていた。私達は、付き合ってなどいなかったのだ。けれども私は、不死川さんの口からはっきりと好きだと聞いた。それは前世の私に対してであって今の私にではないけれど、心が躍るのを感じた。もしかしたら今の私は、不死川さんのことが好きなのだろうか。

「ったく馬鹿なことしやがって……冨岡も余計なこと言いやがって」

不死川さんを誘った私の行動を「馬鹿なこと」と言うくせに、不死川さんは今私を抱きしめて離そうとしない。これが矛盾していると言ったら怒られてしまうだろうか。

「好きなら一回くらい抱けばいいのに」

私が不死川さんの胸で零すと、不死川さんははっきりと「記憶のねェお前を抱けねェ」と言った。

「じゃあ、もし私が記憶のないまままた最初から不死川さんを好きになったとして、その時も抱いてくれないんですか」

私が試すように言うと、不死川さんは少し考えた後顔を上げた。

「ややこしいこと言うんじゃねェ! お前のせいで俺の貞操観念は狂ってんだよ! お前が思い出すまで何年でも待ってやらァ!」

本来私は慌てて記憶を取り戻さなければならない立場だというのに、そう言う不死川さんが可笑しくて小さく笑ってしまった。そんな私を咎めもせず、不死川さんは私の背中に腕を回す。きっとこの人は私が記憶を取り戻さないままでも変わらずに好きでいてくれるのだろうと、不死川さんの体温を感じながら思った。