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「あ、苗字さん」

 自宅近くの薬局にて、部活帰りだろう影山君と出会した。部屋着ではなく制服を着ていたのがせめてもの幸いだ。降って湧いた僥倖に私は買い出しを頼んだ母へ感謝した。

「影山君も買い物?」
「っス。制汗剤見に来てて」

 私は自然な会話を心がけながら影山君の前にある棚を覗き込む。そこには、カラフルな制汗剤が所狭しと並んでいた。様々なメーカーのものが並べられているが、一番人気はシーブリーズシリーズだろう。影山君もそれにするようで、先程から寒色系のデザインのボトルを手に取って見比べていた。

「いまいち違いがわかんなくて……スプラッシュマリン? って何だ?」

 フレグランスの名称は複雑に書かれることが多いから、そういったことに疎い影山君には色の違いがわからないことだろう。私はスプラッシュマリンのイメージを述べた後、棚を見回した。

「男子でもピンクとか黄色持ってる人もいるし、色は気にならないかもね。シトラスとかいいと思うよ」

 そこで目についたのは、あらかじめ本体と蓋のカラーが違うデザインである。言わずもがな、シーブリーズの蓋を恋人と交換することは青春の代名詞だ。影山君が単色のシーブリーズを持っていたら、浮かれた女子が交換を頼むかもしれない。何も知らない影山君は交換に応じることだろう。耐えられなくなった私は青と紫のボトルを掴んだ。

「これ! アイスフローラル! おすすめ!」
「でもさっきシトラス系がおすすめって」
「こっちの方が影山君に合う気がした!」

 無理があるだろうか。影山君は暫くボトルを眺めた後、レジへと歩き出した。「あざっス」その背中を見送って私は達成感に包まれる。これで、影山君の周りの女子を牽制することができた。無知な影山君を騙しているようで良心が痛むが、表立って告白する勇気のない私のせめてもの守りだった。

 影山君は私の勧めたシーブリーズを気に入っているようだった。体育の後甘い香りが影山君からすると、これは自分の選んだものなのだと思い知って一人恥ずかしくなった。蓋の色は変わっておらず、影山君のシーブリーズの処女は守られている。計画通りかと思った頃、影山君は唐突に私の前に現れた。

「何ではっきり言わないんですか」
「へ?」

 昼休み、私の席の目の前に現れた影山君に目を丸くする。影山君は不満げな様子でシーブリーズを出した。

「先輩に聞きました。シーブリーズの蓋は恋人同士で交換するって。元から蓋の色が違うのは女避けなんじゃないか、だそうです」

 完全に読まれている。言い訳も思いつかずに影山君を見つめる私に影山君はさらなる追い討ちをかける。

「どうせするんなら本気でしてください」

 影山君が何を意味しているのかすぐには理解できなかったが、私が牽制したことに不快になったわけではないのだと悟って安心した。

「あ、私もシーブリーズ持ってるから、交換する? それでいい?」

 などと言いながら、私の心は浮かれてばかりである。まさか影山君とシーブリーズの蓋を交換できる日が来ようとは。影山君を見ると、影山君はまだ満たされない様子でシーブリーズを私の机に置いた。

「ぬるい」

 次の瞬間、影山君の上半身が降りてきて私の体を包む。何が起きているのかわからない私の横で、影山君の声が聞こえた。

「牽制っていうのはこうやるんです」

 現実を受け入れられない私の耳に女子の騒ぐ声が聞こえる。肝心なことは何も聞いてないけれど、私の恋は結構風向きがいいのだろうか。