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「ねえねえ、今日月明るくない? めっちゃ大きくない?」
日の沈んだ帰り道、やたらと月に言及する名前を佐久早は辟易した目で見た。名前の言動の理由は予測がついている。今日教室で「アイラブユー」の夏目漱石訳が話題となったのだ。色恋沙汰に疎い佐久早でも知っているというのに高校生にもなって知らなかった名前は、ここぞとばかりに使おうとしてくる。佐久早に「月が綺麗ですね」と言わせたいのだろう。その遠回し加減が佐久早の心を擽る。
「言わせようとしてるのがむかつく」
「だって、」
名前が言い訳を口にしようとした時、佐久早は名前を塀まで追い詰めた。塀に腕をつく仕草は所謂壁ドンというものだろう。だが名前の驚きはここで終わらない。
「愛してる」
「は……」
思わず情けない声が出た。あの佐久早が、愛していると口にしたのだ。名前が呆けている間に佐久早は体勢を直し、また歩き始めた。名前は慌てて隣に並ぶ。
「何今の!」
「言って欲しかったんだろ?」
「そっちじゃない!」
「同じことだろうが」
名前は表情だけで抗議をした。名前はあくまで、「月が綺麗ですね」と言わせようとしていたのである。米国人のように率直に愛を囁かれるなど想定外だったのだ。佐久早はもどかしいように言った。
「俺のこと好きなくせに何で婉曲表現ばっか求めんだよ」
佐久早は求められれば、名前に直球の表現だってする。佐久早は名前が思っているより名前のことを好きなのだ。
「佐久早は直球すぎるの!」
「お前は遠回しすぎる。告白の一つもまともにできねぇのか」
横目で見られ、名前は頬を膨らませる。自分はついさっき愛していると言っておいて、告白は名前にさせようというのか。
「なんかそれズルくない?」
「ズルくない。今だって告るチャンス作ってやってんだろうが」
「愛してるとか言われた後で好きですとか言いづらいんだけど!」
名前が衝動のままに抗議すると、佐久早はふと笑った。
「じゃあ愛してるでいいぜ」
妥協しているように見えて、さらにハードルを上げているのである。名前は口を開けたり閉めたりした後、自暴自棄になって叫んだ。
「佐久早、愛してる!」
佐久早は澄ました表情で受け止めた後、からかうように述べる。
「『月が綺麗ですね』でもよかったのにな」
「なっ……!」
佐久早にいいように扱われたことに気付いて、名前は言葉を失う。大声で抗議してやろうとした次の瞬間、佐久早に抱きしめられた。
「冗談。俺も愛してる」
佐久早の囁き声を耳元で感じながら月を見る。今日、名前達は付き合ったということになるのだろうか。
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