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 不可抗力とは実際に存在するものである。例えば会社の先輩にスポーツの試合に誘われた時。先輩は言わずと知れたバレーファンであり、私は長らくその話を聞いてきた。「ついてきてくれるよね?」と言われたら、私はもう断れない。かくして、私はプロリーグ会場へ足を運んでいるのであった。

 バレーを観戦しに行くことはないが、私はバレーに詳しかった。先輩が私を誘ったのもそれが理由だろう。先輩には友人がバレー部出身で詳しいのだと説明している。勿論、今回私が試合を観戦しに行くことはその「友人」には言っていない。

 席に着くと、間もなく選手の入場が始まった。個性の出る登場シーンの最中は、客席に向けてファンサービスもしてくれる。木兎選手のマスコットのような動きに場が盛り上がる中、次に登場した選手の行動に辺りが騒めいた。

「佐久早選手、なんかすごいこっち見てない……?」

 普段はファンサービスなどしない佐久早選手が、釘付けになったようにこちらを見ているのだ。私は「何でなんでしょうねえ」と適当に流した。客席を見ることがファンサービスかと言えば微妙なところだが、珍しいことには違いない。

「何があったんだろう……」
「先輩のグッズが目に止まったんじゃないですか?」

 先輩を持ち上げることも忘れずに彼女の意識を試合へ持って行く。試合はすぐに始まり、ブラックジャッカルが優勢だった。特に今日の木兎選手の調子がいいようで、点が決まるたびに「木兎ビーム」が会場のそこらで披露されている。

「ほら、名前も!」
「ええ……」

 先輩に強制され、私は仕方なく木兎ビームのポーズをとる。するとラリーが終わった佐久早選手がこちらを食い入るように見つめていた。再び会場が騒めきだす前に、また試合が始まる。このような流れの繰り返しで、試合はブラックジャッカルの勝利に終わった。

「帰りましょうか」

 帰宅することが恐ろしくもあるのだが、これ以上会場に留まるのは危険だ。先輩を誘うが、先輩は色紙を取り出し会場の一点を見つめている。

「サイン貰って帰る!」
「じゃあ私は先に」
「名前もいて!」

 何度目かわからない不可抗力を得て、私は仕方なく選手の元に近付いた。するとやはり佐久早選手がこちらを見ており、数メートルは離れているこちらに話しかけた。

「お前何でここに」
「喋った!?」

 佐久早選手は喋らないというわけではない。しかし今のは明らかに私達に向けて話しかけていた。私は頭を押さえながら、「人が多すぎて覚えられなくなってるんですよ」と答えた。だが自分に話しかけられたと思った先輩はすっかり佐久早選手に骨抜きになっており、彼にサインを貰おうと近付いていっている。

「おい、聞いてんのか」

 佐久早選手との距離が一メートルになろうかという頃、やはり佐久早選手は個人的に話しかけた。その相手が先輩や他のファンではなく私であることは明らかだった。

「知り合いなの?」

 興奮してこちらを振り返る先輩に私は首を傾げてみせる。

「さあ? 木兎選手のファンサの真似じゃないですか?」

 聖臣の表情が曇るのがわかる。私はとんでもない地雷を踏んでしまった。だがバレーファンの先輩の前で正直に話すわけにはいかない。ああ、家に帰るのが恐ろしい。