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「菅原いる?」

 名前が体育館に顔を出すと、出てきたのは見知った顔ではなく後輩らしき男だった。

「居残り練してますけど」

 彼もまた居残りで練習するのだろう。影山と書かれたジャージを身にまとったまま着替える気配がなかった。

「ふーん、じゃあ待ってる」
「遅くなると思うので先に帰った方が……」

 影山の言葉を途中で止めたのは先日見た光景だった。練習の前、帰宅部のカップルが手を繋いで帰る場面を見たのだ。恋人同士は一緒に帰りたがるものだとどこかで聞いたことがある。もしかしたら、目の前の女も同じなのかもしれない。

 名前は影山が考えていることを察知したように笑った。

「私、菅原が好きなんだ」
「そ、そっスか」

 影山は思わず顔を逸らした。影山は恋愛経験もなければ人の恋愛をアシストできるほど器用なわけでもない。恋だの愛だのに関わるのはこれが初めてだったのだ。

「あの、絶対誰にも言いません!」

 影山が凄んで言うと、名前は「ありがとね」と返した。ちょうどその時、練習に一区切りついた菅原がこちらに寄ってきた。

「あれ、苗字じゃん。……と、影山?」

 まさに渦中の人が来てしまった緊張感と、自分の存在が名前の恋愛を邪魔してしまうのではないかという焦り。影山は背筋を正して叫んだ。

「俺は断じて何もしてないです!」
「何だそれ? 変なの」

 影山の緊張に反して菅原は何とも思ってない様子だった。笑ってみせる菅原に、名前が声をかける。

「あの、一緒に帰らない?」

 これには影山も息を呑んだ。想い人がいない影山でさえ、恋の駆け引きをしているような気分になるのだ。だが菅原は軽い調子で承諾した。

「いいぜ。体育館で待ってろよ」

 影山は胸を撫で下ろしたい気持ちで出入り口を離れる。これで練習に集中できるというものだ。影山が練習を始めても、二人は仲良さそうに話していた。


 居残り練習を終えた後、菅原は一足先に部室を出た。部室棟で待っている名前と合流し、校門を出る。学校から距離を置いた後、菅原は名前の手を掴んだ。

「それにしても、さっきの影山の顔最高だったな!」

 その表情は可笑しくてたまらないという様子である。隣で笑う名前もまた、共犯だった。

「一応嘘は言ってないんだけどね」

 菅原を好き、一緒に帰りたい、これは付き合っていても通じる言葉である。少々わざとらしくなってしまったのは否めないが。

「明日進展聞かれたらどうするの?」
「付き合うことになったって言えばいいべ。進展早すぎて影山卒倒しそうだけど」

 菅原は笑って名前の指に指を絡める。今日からかってしまった分、いつか影山が恋をした日には応援してやろう。果たしてそんな日が来るのかはわからないが。菅原は朴訥な後輩の顔を思い浮かべた。