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 秋の風物詩と言えば何だろうか。花火やお祭りなどが挙がるドラマチックな夏を終え、季節はすっかりスポーツに適したものになった。強豪の部活が揃う白鳥沢学園で、持久走大会があるのは至極当然のことなのだ。

「やだなぁ……」

 持久走大会当日になってなお私は愚痴をこぼした。今日はジャージでの登校が許されており、教室には荷物を置くだけだ。こういった行事を総なめにするだろう牛島君と私が交わるのも、教室の中だけかもしれない。牛島君は鞄の中身を開けながら言った。

「別に本気を尽くさなくてもいいんじゃないか?」
「えっ」

 私は思わず牛島君を見る。真面目な牛島君のことだ。士気を下げるなとか、きちんとやれという説教が返ってくると思っていたのだ。別にスポーツに関することでなくても、牛島君は丁寧にやる。牛島君からしたら、ただの隣人である私が評価を落とすことなどどうでもいいのだろうか。

「大事なのは自分の力を知ることだ。マラソン大会の距離は長い。倒れては困る。危ないと思ったら途中できちんとリタイアしろ。俺はお前の健康が第一だ」

 牛島君は鞄の中身を外へ持っていくスポーツバッグに移しながら述べた。流れるように話された中身は確かに筋が通っている。がむしゃらにやるよりも自分の本気を見極めて走る、とは強者らしい理屈だ。ただ私の身を案じるかのようなことを言われると、変に勘違いをしてしまう。牛島君が私のことを心配してくれているのではないかと。

「ありがとう」

 私はとりあえずお礼を言った。変に調子に乗せられたところで、すっかり恋愛気分で絡めばどうなるかは目に見えている。「俺は真剣に大会の話をしていたのに浮かれていたのか」と牛島君に呆れられるのだ。天然というのは罪深い。牛島君が時折勘違いさせるようなことを言う人間であるということは、この数ヶ月間でよく理解している。

 牛島君は顔を上げると、真っ直ぐに私の目を見て言った。

「お前を一番に応援している」

 牛島君のいつもの天然節だとわかっている。だが今回は、あまりにもインパクトが強すぎないだろうか。スポーツバッグを持って教室を出て行く牛島君をよそに、私はいつまで経っても自席に立ち尽くしていた。本気を出すなと言われたところだけれど、今日は頑張ってしまうかもしれない。