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「サイン考えておきなよ」

 そう言ったのは、飛雄の移籍を考えてのことである。今の飛雄のサインは漢字を基調としてハートマークをあしらっており、女性ファンを中心に人気がある。だが海外へ行くならアルファベットのサインもいいのではないか、とテレビを見ていて思ったのだ。飛雄は素直に頷いてテレビに目を戻した。飛雄がイタリア移籍を決めたばかりの頃の話だ。

 日本を立つまであと一ヶ月となった今、改めて飛雄に問う。

「サイン考えた?」
「はい! 準備はOKです!」

 飛雄は相変わらずの真面目さに、少し気合が入っている様子だ。移籍がそこまで楽しみなのだろうか。イタリアの綺麗な女の人に取られたらどうしようかと思いつつも、本気で焦燥感を抱けない自分に苦笑いをする。

「じゃあ、イタリアのファンにもサービスしてあげてね」

 私が言うと、飛雄は呆然と固まった後徐に口を動かし始めた。

「すみません、サインって言ったのでファンサービス用じゃなくて婚姻届用だと思ってました……」

 今度は私が呆然とする番だった。確かに婚姻届には署名が必要だ。私達はこの数ヶ月間すっかり行き違いをしていたのだ。

「べ、別にそっちを練習してもらってもいいけど……そもそも届出用のサインって考えるもの?」
「俺字が汚いので」

 私の照れ隠しに飛雄は真面目に答えた。そう返されると、私は飛雄の言った意味合いで話を進めなければならない。

「そ、そっか……じゃあ結婚する?」

 私が飛雄の様子を窺いながら持ちかけると、飛雄も同じく落ち着かない様子で答えた。

「はい……プロポーズ俺がしたかった……」

 私は思わず笑い出す。今の飛雄は結婚の嬉しさ半分、思わぬ形でプロポーズをされた悔しさ半分というところだろうか。結果にこだわる飛雄のことだからプロポーズに劇的なシチュエーションは求めないと思っていた。しかし、男の自分から持ち出したいという矜持はあったようだ。

「日本にいる間に、手続きしましょう」

 そう言う飛雄からは、浮き足立った様子が見てとれた。