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 その人物は、何の予告もなく現れた。

「ホテル取り忘れた。泊めろ」

 スーツケースを引きずっているところを見ると、空港からそのまま来たのだろうか。実家よりも私の家の方が好都合だろうが、突然来て泊めろと言われても困る。仮にも私達は異性であるし、人を泊めるには結構気を遣うものだ。首肯しない私を見て、冴は感情の読めない顔のまま告げた。

「俺のこと好きなんだろ。これくらいできないのか」

 この間まで隠していた気持ちを持ち出され、私はむきになる。私は冴に隠し事をしたくなくて気持ちを告げたのであって、このように利用されるためではない。

「そういう態度はどうかと思うな! やりがい搾取! ブラック企業です!」

 私の気持ちにあぐらをかいて何でもしてもらえると思ったら大間違いだ。いや、冴に頼まれたらしてしまうかもしれないが。

「じゃあ賃金をやればいいのか」
「そういうことじゃなくて」

 咄嗟に否定しつつも、その代償をつい頭で考えてしまう。私が冴を好いていることはわかっているのだ。一晩同じ屋根の下で過ごすのだから、大人の付き合いになってもおかしくない。

 顔に出ていたのだろうか。冴は私の額を指で弾いた。

「バーカ、何考えてんだよ。一回泊めるくらいだったらデートで十分だ。俺を安く見積もんな」

 額をさすりながら冴を見上げる。冴の自己肯定感が高いのは知っていたが、流石に冴としても泊めてもらっただけで夜の相手をするわけにはいかないようだ。

「そんな冴様が泊まるのが私なんかの家でいいの?」

 嫌味のように告げると、冴は「お前だからいいんだろうが」と言って勝手に部屋の中へ入った。律儀にスーツケースを持ち上げて運ぶ後ろ姿を見ながら私は感慨に浸る。冴は私を見下しているのか、評価しているのか、どちらなのだろう。大方幼馴染として長い付き合いがあるから信頼しているというところなのだろうけれど、それにしても私の恋心は邪魔になるはずだ。私が冴の寝顔写真をSNSにアップしないとも限らない。それでも平気で私の家に泊まる選択をする冴を、私はもどかしい思いで見守るのだった。