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 治に誘われた時、治は非童貞で私は処女だった。理由は決してそれだけではないのだけど、私はもう少し待ってほしい旨を告げた。治は文句の一つも言わずに了承してくれた。治が私に本気であることの証左であるような気がして、私は心が温かくなった。それと同時に、治に合わせなければいけない、と強く思った。治がどれだけ誠実に私と付き合っていようが、キスの先をできない彼女などいつかは愛想を尽かすだろう。私はインターネットや雑誌を駆使し、情報収集に勤しんだ。実際に経験のある友達から話を聞いたりもした。実態を知れば知るほど恐ろしさは増していくのだけれど、治と前に進めるのなら悪くはない気がした。私の覚悟は決まったのだ。問題は、どうそれを言い出すかということで。

 急かしたら悪いと思っている治は、なかなか私を誘ってこない。私がイメージしていたのは、「そろそろ準備できた?」と言う治に私が頷く光景だ。頷くだけならば私にもできただろうが、今回は「セックスの準備が整いました」と自分の口から告げないといけないのである。いくら何でも処女にはハードルが高すぎる。それとなく誘う方法もあったが、どれも私にはできる気がしなかった。いやらしい下着を見せるだとか、治の手を私の体に誘導するとか、そのようなことができていたら私は処女ではないのである。悩んでいても前には進めない。治が部屋に遊びに来た今日、私は機会を覗っていた。治はセックスの誘いをされるとも知らずに呑気に少女漫画を読んでいる。その背中に近付いて、私は勢いのままに抱きついた。

「しよう」

 自分の声が、自分のものではないみたいだ。触れた胸から鼓動が伝わらないかと心配になる。治は一度漫画を閉じた後、真剣な声色で「何を?」と聞いた。

「……セックス」

 私の言葉が投下されてから、暫くの沈黙がおりる。治は微動だにしなかった。爆発しそうなほどの心臓の鼓動を数えていると、治は不意に振り返った。

「そんなん覚悟できたって言ってくれればよかったんやで」

 治は笑っていた。私はからからわれているのだと理解してから、必死で口を回した。

「それじゃ何の覚悟かわからないやん!」

 私の言葉を無視して、治は感慨に浸っている様子である。

「意外やったなぁ、名前ちゃんがこんなに積極的なの」
「あああ!」

 もはや私達の間にそれらしいムードは一つもない。顔を覆う私の手を、治が掴んだ。

「――からかうのはここまでにして、折角言うてくれたんやから叶えな」

 治が、本気の目をしている。私は呼吸を止めたまま、小さな声で呟いた。

「待ったっていうのは、」
「もうナシな」

 いつのまにか治のペースに乗せられている。私は腕を引かれながら、治がモテる男であることを再認識していた。目の前の治の背中は広い。今日、私は大人になる。