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「寒くないですか」

 影山君の声は、まるで原稿を読む放送委員であるかのようだった。実際、彼は言葉の意味をよく理解していないのだろう。私が「大丈夫だよ」と言うと、「そうですか」と安心したように顔を綻ばせる。この台詞は彼の先輩――菅原さんと呼ばれる、彼がよく慕うお調子者に教え込まれたものなのだろうと思った。影山君が事あるごとに「寒くないですか」と言うのは、私達の付き合いがバレー部に知られてからだった。温度を分け合うつもりもないのに、彼は気を遣っている証拠のように毎度同じ言葉をかけてみせる。それが不服だったわけではないが、私の悪戯心が疼いた。彼を困らせてみたくなったのだ。それは勿論、彼のことを好きだからだ。

「寒いよ」

 影山君はきょとんとした目で私のことを見た。私は百貨店で買ってもらったコートを着ていたし、マフラーまで身に付けていた。側から見て到底寒そうにはしていないだろう。だけど、女の子の体を冷やすことはいけないことなのだ。影山君が理解しているかはわからないけれど。

「影山君が、温めて」

 彼は沈黙を置いた後、小さく私の手を握った。「こうですか」尋ねる様子は、彼がこのような出来事に不慣れであることを示している。影山君は女の子を気遣うための台詞を習うばかりで、女の子の要望に応える練習などしてこなかったのだ。

「私の心臓はそこじゃない」

 私の言葉に、影山君は冷静に答えた。

「苗字さん、ここは外です」

 彼はこのような時ばかり返答が早かった。外だからできない、と言うのは内ならできる、と言っているのと同じである。だが影山君は行動には移さなかった。

「じゃあ私の家へ入ろうか」

 私が言うと、影山君は戸惑ったような目で私を見る。今の私は彼が思い描く私の像とは微妙に違っていることだろう。私は影山君に微笑みかけた。

「私だって人間だよ」

 私は影山君の予想通り動くとは限らない。影山君の思い描く、「おとなしくて控えめな先輩」ではないのだ。私のささやかな反抗に、影山君は動揺しているらしかった。

「苗字さんがなんか言うと、俺まで惑わされる」

 私は思わず笑ってしまった。私達はこれまでどれだけ定型通りの会話をしてきたのだろう。私は「恋だから仕方ないよ」と言って、また歩き出した。