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 その日は世間で言うバレンタインだった。私は伏黒君と任務が入っており、東京の外れに向かっていた。任務前にチョコを渡したら、浮かれていると思われるだろう。だから、任務が終わったら。そう思っていたはずなのに、帰りの車の中でも私は勇気が出なかった。伏黒君は人の告白を無碍にするような人ではないとわかっているのに、私の何かがそれを許さなかったのだ。結局、私がチョコを渡したのは学校に到着してからだった。

「これ!」

 できるだけ本命に見えないように、ピンクの色を避けて包んだ袋を差し出す。伏黒君は一瞥すると、漸く今日がバレンタインであることを思い出したかのように「ああ」と言った。

「サンキュ」

 伏黒君は去ってしまう。私はその背中を見送っていた。虎杖君にも先輩達にも渡したから、伏黒君に特別な何かをしたわけではない。私のバレンタインは、これでいいのだ。

「恵のこと好きなんじゃないの?」

 陰から見ていたのだろう。唐突に五条先生が隣に並んだ。五条先生に知られていたことに羞恥を覚える。私にとって、恋愛感情は醜いものなのだ。

「好きって言ったら、命をかけて一緒に任務したこととか、互いに庇い合ったこととか、全部恋愛のせいになっちゃう気がして」

 私達の間にあったものは、友情や絆、そういった輝かしいものなのだ。綺麗事と言われようが、私はそれらが好きだった。もし私が告白をしたら、私がいつ伏黒君を好きになったかに関係なく、今までの出来事を陳腐にしてしまう気がした。

「それでも別にいいでしょ」

 五条先生は恋愛に長けているのだろうか。先程から前向きな言葉を繰り返す。

「ううん……なんか、私にとって青春って思ったより大事だったんだなって」

 私達の間を静かな風が吹く。少し恥ずかしいことを言ってしまった自覚はあった。だが紛れもなく、私は今のために恋愛を諦めていたのだ。五条先生は小さく笑った。

「それだけ大事にしてたら、一生ものの思い出になるよ」

 前を向き、空を見上げるその顔からは何が見えているのだろう。アイマスク越しではよくわからない。

「いい未来だといいね」

 そう語る五条先生の声は、少しの寂しさが滲んでいた。もしかしたら五条先生は、青春を失ってしまったのかもしれないと思った。