▼ ▲ ▼

 暫くの時間を置いた後、名前は佐久早の元に現れた。佐久早と名前は昔からの馴染みであるが、改まって会いにくるのはこれが数ヶ月ぶりだった。佐久早は眉間に皺を寄せていた。常に平等だった二人の中で、初めて名前が優位に立った瞬間だった。

「恋をしてみてどうだった」

 名前が問う。まるで佐久早に恋愛を教える先生のように。名前の方は恋が何かを知っているのだと思わせる言いぶりは、佐久早を不快にさせるだけだった。

「最悪だよ」

 佐久早は苦虫でも噛み潰したかのような表情をする。本来、佐久早は恋や愛が得意ではないのだ。それを幼馴染の名前が少しはしてみたら、と言うから挑戦した。ところが佐久早が好きになった人物は、少しも佐久早の気持ちに応えることなく目の前で笑っているではないか。

「もう二度としたくない」

 と言いつつも、佐久早が名前を好きなのは明らかだった。現に名前と話しているこの状況でさえ、佐久早は高揚しているのだ。名前は佐久早より数年早く生まれたお姉さんのような表情をしているというのに、佐久早だけが思春期に取り残されている。名前は佐久早の答えを認めると、小さく微笑んだ。

「じゃあ、やめる?」

 そう語る名前は、恋のことをまるでわかっていない。あるいは、自分の気持ちを自在に操れる超能力者か何かなのだろう。少なくとも佐久早は、やめようと思って自分の気持ちを律することができるほど、大人ではない。では何故初め恋をしようと思って自然と名前を好きになれたのか、疑問がよぎる。あまりそれを考えないようにしながら、佐久早は甘い言葉を舌の上で転がした。

「やめられたらとっくにやめてる」

 名前は満足したように笑みを浮かべた。その表情に腹の奥が熱くなる。名前は、佐久早が恋愛に足をとられるさまを見て楽しんでいるのだ。自分だけ安全な場所にいて、恋などとうに経験しましたという顔をしてビギナーを笑っているのだ。佐久早は猛烈に悔しくなった。もう少し早く恋をしていればこのような目には遭わなかったのだろうか。でも、好きになる相手が同じなら、名前はどちらにしろ全て見通したような瞳で佐久早のことを弄ぶのだろう。恋をするにあたって好きになる相手の選択肢が名前しかない己の人生の狭さを恨んだ。だがそれすらも名前に仕掛けられたことなのではないかという気がする。

「頑張ってね」

 名前は上品に言い、佐久早の元を去った。頑張ったら名前は余裕のある表情を崩してくれるのか、と思わず聞きたくなった。