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 ある晩気付いたら、数多の若い男女が押し込められている小屋の床に転がっていた。私は手縄も、猿ぐつわもされていなかったけれど逃げ出そうという考えは連れ去られた日の晩に消え失せた。日が沈んだ後、小屋の扉を開けたのは得体の知れない妖怪のような生き物だったのだ。

 息もできない体の奥で、道理で皆逃げ出さないわけだ、と合点が行った。妖怪は小屋の中をじっくり眺めてからとある男を掴み、無理やり引きずり出した。明かり一つない小屋の外からは、男の断末魔と肉を裂く音が聞こえた。この小屋に来てから、それが毎晩続いている。

 夏にも関わらず体を震わせながら、私は以前耳にした鬼の噂を思い出していた。何でも、夜に活動して人を食う鬼という生き物がいるらしい。当時は信じられずに、夜にだけ活動するなんて私達と同じだと笑いの種にしたものだ。だが鬼は実在したのだ。証拠は、毎晩この小屋にやってくる。一晩に一人ずつ連れ去られてゆく若者を見ながら、いつ私の番が来るのだろうと考えていた。どうせ食べられるなら早い方がいいか。それとも少しでも長く生きたいか? 死を目の前にすると人は簡単に自分の生を諦めてしまうのだと、私は可笑しさすら感じていた。小屋の中身が半分程減った時、救いは突然訪れた。

 鬼はまだ小屋に来ていないというのに、断末魔が聞こえるからおかしいと思っていたのだ。鬼は必ず小屋で生かしている人間を食べる。異変に心を騒つかせていると、少し時間を開けて小屋の扉が開かれた。強烈な血の匂いからは想像もできないくらい、優しく丁寧な音だった。

「全員生きているか。もう大丈夫だ」

 背後に月明かりがあるせいで顔はよく見えなかったが、彼が人間であるということは理解できた。私はもう、鬼の食糧ではなくなったようだ。よかった。安心すると共に、私は意識を失った。

 目が覚めると民家にいた。私達は二人一部屋の部屋をあてがわれ、衣食住を提供されている。久々に触れる温かい食事を喉に通しながら、ここは鬼殺隊という組織の保護施設だと知った。鬼を滅する組織、鬼殺隊。鬼が実在した以上、鬼狩りがいてもおかしくはない。彼はあの晩鬼を殺したのだ。

 腫れ物を扱うような慎重さではない、民家の老婆の態度が心地よかった。私達は次第に健康を取り戻し、目処の立った者から民家を出た。だが帰る気のない私と重症の者だけが残っていた。民家での暮らしは心地よかった。たまに玄関の扉を開けて、彼もやってきた。彼は名を冨岡さんといい、鬼を何体も倒してきた腕利きであるらしい。あまり愛想のいい人ではなかったけれど、被害者である私達のことを酷く気にかけていてくれるのだと伝わってきた。

 その中で、私は一人避けられていると感じていた。私が女だからではない。同じ女で、治療のためもっと薄着の患者だっている。それは恐らく、私が世間一般とは異なる職業――極道組織の、夜の相手をしていたことが理由なのだろう。ここに来た際に、私は職業を聞かれ素直に老婆に答えたのだ。冨岡さんに伝わっていても何も不思議ではない。ただ、目が合ったのにわざとらしく逸らされるとこちらもいたたまれない気持ちになるのだが。

「お前は、大丈夫か」

 冨岡さんは不意に私の隣に立って語りかけた。私は一瞬呆然としてから、すぐに笑顔を取り繕う。

「冨岡さん、私のことが苦手なんでしょう。そうして無理して話しかけていただかなくて大丈夫ですよ。所詮私は、売女ですから」

 冨岡さんは大袈裟に目を見開いた後、気まずそうに目を逸らした。やはり真面目な冨岡さんは売女など相手にしたくなかったのだ。そう思って俯くと、頭上から小さな声が降ってきた。

「気を悪くさせてしまったならすまない。俺がぎこちないと思ったならば、それは俺がお前を好きだからだ」

 今度は私が目を見開き、冨岡さんを見上げる番だった。冨岡さんは、今何と言ったのだろう? 混乱する体の中で、心臓だけが激しく脈打っていた。