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 治と付き合って最初に話したことは、女の子との接し方についてだった。

「浮気だけは絶対にあかん。したら即別れる。ファンの女の子とライン交換しても、通話はすんなや」

 当時の私の最低限のルールを治に押し付けると、治は嫌な顔一つせず「わかった」と頷いた。後から考えてみれば、よく浮気の噂が立っていたのは侑の方で、治にそんな話はなかったのだ。しかし高校生の私は双子の兄弟を切り離して考えることができなかった。それでなくとも、治はクラスの中心にいる人物なのだ。顔立ちも整っていて、他校にもファンがいるのも知っている。治が浮気をすることくらい、容易いと思っていた。しかし治は噂一つ立てず高校を卒業し、専門学校へと入っても私と付き合い続けた。歳を取るにつれ飲み会でやたら女と絡むの禁止、という意味のわからないルールも増え、治は忠実にそれを守ってきた。事あるごとにルールを口にする私は多分、治ではなく女にだらしない侑を見ていたのだと思う。社会人になったらどんなルールにしようか、なんて考えていた頃、私はとある飲み会に参加した。それが元凶だった。

 気付いたら、私は泥酔した状態でホテルのベッドに寝ていた。すぐそばから水の流れる音が聞こえてくる。誰かがシャワーを浴びているのだ、と理解した瞬間、私の顔から血の気が引いた。慌てて服を確認するが、乱れた様子はない。私は財布から五千円札を引っ張り出してサイドテーブルに置くと、夢中で部屋を飛び出した。

 ホテルの外は暗く、冷え切っていて、今が深夜であるということを教えてくれた。とにかくホテルから遠くへ、遠くへと歩いている内に自然と涙が出てくる。私は、やってしまった。あれだけ治にしつこく浮気するな、飲み会で気をつけろと言っておきながら自分はホテルにまで行ってしまったのである。治が浮気の一つでもしていてくれたらこんなに苦しくなかったのに、と私は見当違いに治を責めた。治は私が何を押し付けても面倒くさがらず、守ってくれた。それが重荷になるなんて思っていなかった。
 
 誰かに会いたい、逃げ込ませてほしいと思う。その相手が誰だかはわかっているのに、今はとても恐れ多くて連絡をとれたものではない。気付いたらホテルにいて怖かったから慰めてだなんてどの口で言えるのだろう。それでも深夜に泣いている私を受け入れてくれる人は一人しか思い浮かばなくて、私は震える手でスマートフォンを押した。
 
 玄関の前に立つ私を見て治はすぐさま部屋に引き入れた。「治、わたし、わたし」泣きじゃくる私を胸の中に閉じ込めて、治はいつもの落ち着いた口調で言った。

「名前が無事ならそれでええんよ」

 治は痛いほどに優しくて、温かかった。