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 本日、私のクラスが調理実習をしたことは学年中が知ることとなっていた。というのも、廊下中に甘い匂いが漂っているし、バレンタインよろしくお菓子の押し付けが始まっているのだ。浮かれた顔をした男子が教室を覗き込む。その中に、そういったことからは最も遠そうな人物、佐久早がいた。

 教室に来たとはいえ、佐久早が口に出して「お菓子をくれ」などと言うキャラクターではないことはわかっている。現に、私の方を見るのみで全く口を開かないのだ。私は素直に答えてやることにした。

「マフィン? ないよ、食べちゃった」

 佐久早は、そわついた顔から一気に表情を落とした。まるで親の仇でも見るような目で、私のことを見下ろす。

「お前は俺のことが好きなんだよな」
「別にいいじゃん! ちょっと食べちゃったくらい!」

 好きなら何でも尽くさなければいけないという決まりはない。恋愛は私の生活の一部で、全てではないのだ。年がら年中佐久早のことを考えて生きているわけではない。ところが想いを寄せられている側の佐久早は違うようだった。

「この間だって合同体育で別の方見てただろ」

 その口調はまるで浮気を責める恋人のようである。ところが私達は、付き合っているどころか私の片思いなのだ。

「そんなに佐久早中心に生きなきゃダメなわけ?」

 遂に開き直った私に、佐久早は粛々と説教をした。

「少なくとも好きでいる姿勢は見せろよ」
「誰に」
「俺に」

 私達の視線がかち合う。お互いに照れはどこかへ行ってしまった。そんなもの今更なのだ。

「もう伝えたからいいもん」

 佐久早を突き放したいが、佐久早を好きだという気持ちは忘れられない。精一杯の抵抗をすると、佐久早は捨て台詞のように呟いた。

「フラれても知らねぇからな」
「佐久早は私のことフラないし!」

 半ば反射的に言い返してしまったが、果たしてそれは真実だったようだ。佐久早は反論の言葉をなくしたという様子で黙り込んでいた。やがて「マフィンがないならもういい」と言って踵を返す。今回は、私の勝ちのようだ。