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 現在、私の唇は佐久早のそれと触れ合っている。きっかけは私が床に躓いたことだった。正面にいた佐久早が咄嗟に私を支えようとして、普段は触れ合うことのない位置にいる顔がぶつかってしまったのだ。

「ご、ごめん」

 数秒経って、私は漸く唇を離した。周りに人がいなかったのが不幸中の幸いだろうか。クールな佐久早のことだ、「忘れろ」と言って唇を拭うに違いない。

 ところが現実は全くの逆を行き、佐久早は眉を吊り上げて唸った。

「初めてだったんだぞ!」
「ご、ごめん?」

 佐久早がファーストキスを済ませていないというのも驚きだし、ファーストキスにこだわる乙女のような部分があるというのも驚きだ。

「お前みたいな奴とは違うんだ、俺はずっととっておいてた」

 佐久早の言い方は嫌味ったらしい。攻撃の意思をひしひしと感じながら、私は必死に佐久早を宥めようとする。

「誰か好きな人がいるの?」
「お前」

 本来衝撃を受けたり喜んだりするべきなのだろうが、私の頭は冷静だった。好きな人が私なら、別に怒る必要はないのだ。

「問題なくない?」

 開き直ってみせた私に、佐久早は上から凄む。

「付き合ってないだろうが」

 またしても佐久早の面倒な部分を垣間見てしまった気がする。私は自分が恋愛に積極的になっていることに驚きながら、折衷案を口にする。

「じゃあ付き合えばいいんじゃ……」
「順序ってもんがあるだろ」

 私は佐久早の好きな人であるはずなのに、何故怒られているのだろう。この分だと付き合っても面倒くさそうだ。佐久早に好かれた時点で私に勝ち目はないのかもしれない。

 恐らく私はこの事故キスを一生擦られることになる。佐久早と一生いるかは、わからないけれど。私は心の中でため息をついた。