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 なだれ込むようにして彼のベッドで熱い一晩を終えた後、彼は無言で鍵を差し出した。彼――佐久早聖臣は数ヶ月前から私と体を重ねている相手であり、今は聖臣のダイニングで朝食を取っている最中である。明確に名前のある関係性ではないが、私は聖臣のことを異性として好きでいた。きっと聖臣も、言葉にはしないだけで私のことを好きでいてくれているのではないか、なんて体を重ねている時には考えてしまう。これは所謂セックスフレンドの関係が終わり、きちんと男女の付き合いをするという証ではないだろうか。希望的観測に過ぎないが、実際自分の家の鍵を渡すとはそういうことだろう。ましてや潔癖な聖臣のことだ。自分が心を許した相手以外が自宅に入るなど、嫌がるに違いない。

「ありがとう。聖臣の鍵、何があっても失くさないから」
 
私は大事に鍵を鞄にしまった。聖臣はコーヒーを一口飲んだ後、「俺のじゃないけど」と言った。 

「私のものだけど一応聖臣の家の鍵でしょ? 責任持って管理するから」
「だから俺の家の鍵じゃない」
 
私は思わず手を止めた。聖臣の家の鍵ではないなら、一体誰の家の鍵なのだろうか。セックスフレンドから正式な彼女になれるという私の夢もここで終わりなのだろうか。何も言えない私をよそに聖臣は平然と続ける。

「これは新居の鍵」
「新居って……誰の?」
「俺と名前以外に誰がいるわけ」
 
咎めるような視線を受け、私は今度こそ言葉を失った。新居とは、一般的に結婚した男女、あるいは結婚を見据えて付き合っている男女が考えるものではないだろうか。勿論、聖臣が高額納税者だということはわかっている。二人で暮らすのに申し分ない程度のマンションは、すぐに用意できるだろう。問題は、相手が私であるということだ。

「あの、私達セフレなんだよね?」
 
つい先程まで早く正式な彼女になりたいと思っていたのに、私は祈るような気持ちすら込めて尋ねる。すると返ってきたのは、至って冷静な言葉だった。

「俺と名前は相思相愛だし、今までだってずっと付き合ってきた。引っ越したら籍を入れる」
 
 私を置いて勝手に進む話に目眩すらする。言いたいことは山程あるが、ひとまず私は「私の気持ち、まだ一回も言ってないよね?」と聞いた。

「聞いてねえけど、好きなんだろ。なら同棲も結婚も問題ない」
 
 問題はありすぎるというのに、悲しいかな佐久早聖臣という男を最初から好きでいた私は口を出せない。私に残された選択肢は、もう頷くだけなのだろう。