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 彼女がいることを知ってバーに訪れた。僕は彼女にとって全くの想定外であるはずだ。カウンターの奥から三番目の席。そこに腰を下ろし、僕は彼女に笑みを向ける。

「こんばんは」

 彼女は笑った。そう、僕の全てを見透かしたかのように。

「お仕事お疲れ様。私があの男を最後に見たのはここの近くのクラブよ」

 僕は顔の笑みを取り消した。情報目当てに彼女に近付いたと知られていることが面白くなかった。僕は常に相手に悟らせずハニートラップを仕掛けるのだ。いや、今回は情報目当てだけではない。数多くいる男を知る者の中で彼女を選んだのは、ハニートラップにおけるセックスを彼女としたいと思っていたからだ。

「例の男と関わりがある中で君を選んだのは君にハニートラップを仕掛けたかったからなんだが」

 どうせ知られているのだ。目の前のグラスを手のひらで包み、僕はハニートラップ相手に向けるものではない顔をした。

「残念」

 彼女は得意げにしている。頭脳でも身体能力でも僕に勝てることはないくせに、恋愛――とは認めたくないが――だとこうして振り払われてしまう。

「そういうことはきちんと誘ってくれなきゃ」

 彼女の声はまるで歳の離れた弟にでも言い聞かせるかのようだった。その通り、僕は彼女に比べて幼い。意中の異性の誘い方においては。

「……今夜僕と寝てください」

 素直に僕が敗北を認めると、彼女はグラスを揺らした。中の酒が円を描いて回る。

「何もあげられないけど、いいの?」

 先に情報を言ったのは自分のくせに彼女は言う。僕は自分に正直になることにした。

「見返りなく君と寝たいんだ」

 ここまで全て彼女の手のひらの上である。僕は自分の気持ちを曝け出して彼女に伺いを立てることを強制されている。それが屈辱のようで、少し新鮮に思えてしまうのだから彼女には勝てない。