▼ ▲ ▼


「俺、凄いファンできたかも」

 佐久早はそう言ってグラスの酒を飲んだ。佐久早とは高校時代からの付き合いで、私が大阪に転勤してからは所謂飲み友達になった。共通の友人と一緒に飲むこともあるし、こうして二人で飲むこともある。

「凄いファンって?」
「返信用封筒と一緒に婚姻届送りつけてきた」

 私は思わず酒を吹き出しそうになる。佐久早がまめにファンレターを読んでいることは知っていたが、そんなものまでまじまじと見ているのだろうか。佐久早は一体どう返したのだろう。

「で、返信したの?」
「あなたの気持ちには添えませんってな。今まで何回もファンレター送ってくれる人だったから無視したら悪いし、一応。俺は好きな人いるから」
「ふうん」

 私は手にしていた酒を一口飲む。佐久早と二人で会うごとに、毎度熱烈なファンレターを送ってくる「あんず」という女性について聞かされていた。佐久早を褒めちぎる文章に始まり、佐久早の性格をずばりと言い当ててみせたり、プレゼントまで贈るのだという。そのプレゼントも、潔癖の佐久早でも思わず使いたくなってしまうような佐久早の好みに合ったものらしい。基本的にファンに無関心な佐久早であったが、この「あんず」さんには長らくの友人であるかのようなシンパシーを抱いてしまうらしい。私はあんずさんなら佐久早と上手くやれるのではないかと思っていたが、文面だけのやりとりで結婚というわけにはいかないようだ。

「あんずさん、フラれちゃったんだね。可哀想」

 私が言うと、佐久早は小さな声で「……お前が言うかよ」と言った。「え?」私が聞き返すと、佐久早は私を厳しい目線で見上げて言った。

「俺の好きな人って、お前なんだけど」
「……へ?」

 私の動きが止まる。既に酒に酔った思考回路はどろどろで、そこに佐久早からのこの言葉である。顔を真っ赤にした私は恐らくこの場で最も言うべきではない言葉を口にした。

「その、あんずって、実は私なんだよね」
「はあ!?」

 私はいたたまれなくなり視線を膝の上に向ける。友人として佐久早との距離を近付けることに限界を感じていた私は、「あんず」というペンネームで佐久早に手紙を送り始めた。最初は普段面と向かって言えない試合の感想や佐久早の格好良さを伝えていれば満足だったものの、佐久早の口から「あんず」の言葉が出るなり私の欲は収まらなくなった。佐久早が欲しいと言っていたプレゼントを贈り、佐久早が飲みの席でぼやいていたようなことを書いた。さしずめ私はペテン占い師というところだろう。「あんず」ならば何をしてもいいと大見得を切った私は、遂に婚姻届まで送り出した。墓まで持って行く秘密のはずが、佐久早に告白されたという想定外は簡単にこの事実を引き出してしまうらしい。

「お前マジでふざけんな……告白した俺が馬鹿みたいじゃねぇか。つーか、何で面と向かって言わねえんだよ」
「いや、私も言うつもりはなかったっていうか……佐久早に好きって言うのが恥ずかしくて、気付いたら」

 可愛く言おうがやっていることは気持ち悪いストーカー行為である。すっかり騙されたという佐久早を横目で見ると、私は窺うように口を開いた。

「てことで、婚姻届、ダメかな?」
「お前なに交際すっ飛ばして結婚しようとしてんだよ」

 佐久早に睨まれ私は縮こまる。佐久早は私が好きで、私も佐久早を好きだということは示してきたのだけれど、ハッピーエンドとはいかないようだ。

「嘘ついててごめん……」

 私が呟くと、佐久早が大きなため息を吐いてから私の手を取った。

「仕方ねえから付き合ってやる」

 って告白した側が言う台詞じゃねぇかもしれねぇけど、お前だってプロポーズしてきたんだからいいだろ。佐久早はそう言って私の薬指を撫でた。まるでそこに、指輪があるかのように。

「佐久早……」

 私が切ない声で名前を呼ぶと、「でもまた嘘ついてファンレター送ってきたら一生『あんず』って呼ぶからな」と言われた。その言葉に思わず背筋が伸びる。佐久早はそんな私を見て笑った。佐久早の言葉に今後一生付き合って行く意思があるということは、恐らく佐久早も私も気付いていない。