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「チューしよっか」

 平然と言ってのけたこの女を見て、俺はため息を吐いた。

「俺は付き合ってる女としかしたくない。順序を間違えるな」

 何故か何の抵抗もないようだが――恐らくこいつには誰とでも抵抗がないのかもしれないが――俺達は付き合っていない。こいつが誰とでもキスをできるあばずれ女だとしても、俺の唇はそう安くない。付き合ってから、と思っている時点で俺はこいつが好きなのだ。

「別に付き合う気はないから大丈夫だよ。これで終わり」

 こいつと俺の価値観は最大限にズレている、と俺は思った。この後関わりたくない奴にどうしてキスができる? いや、こいつはキスをした後俺と関わる気がないのかもしれないが、それはそれで見過ごせない。

「何も大丈夫じゃない。どうして好きじゃない奴にキスできるんだよ」

 俺に責められていることに気付いたのだろう。少し眉を上げてから、悪戯な顔をしてみせる。

「今この瞬間はちょっと好きだよ?」

 ちょっと。今この瞬間は。聞き逃せないワードだが、追求したい気持ちを飲み込んで俺は口を開く。

「明日は?」
「別の人が好きかも」

 その言葉に俺は煮え切らない思いを抱えた。折角俺にチャンスが回ってきているなら、キスしておくべきなのか。それとも俺の唇は大事にしておくべきなのか。そう考えているのは理性で、本能はこいつとキスを――あるいはもっとしたいと思っているのだから、手に負えない。