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 走って逃げる私に対し、治は大股で近付いてくるのみだった。それがまた悔しさを助長させて、私は唇を噛んだ。治の大きな手が私の肩を掴む。深夜の大通りにて、私達は人波をせきとめるかのように立ち止まった。

「正直に言うと、今何て言うべきかわからへん」

 周囲の雑音がやけにリアルだ。もうそろそろ終電をなくすとか、今日の誰が格好よかったとか、そういったどうでもいい話を不思議と耳は拾う。一種の現実逃避かもしれない。治の声は、より鮮明にこだまする。

「俺を見限った女のことを追いかけるなんて初めてやから」

 治は余裕そうな表情に反して必死なのかもしれない。本人の言う通り、去る女を追いかけるなどないのだろう。それが付き合っている関係でも、そうでなくても。私は治ときちんと言葉を交わして付き合い、今求められている。治の顔は不気味なくらいに凪いでいるけれど、治だって人並みに不安や焦燥にかられているのだ。

「まだ好きなんよな?」
「まだ、やなくてずっと好き」

 確かめるように言った言葉を治は訂正した。愛の言葉を囁くには些かロマンチックに欠けるシチュエーションだった。深夜の大通りでも私はときめいていたかもしれないが、今は喧嘩をした後だった。

「何でそんなことわかるん」

 私の視線に、治は静かに返す。

「俺が縋るなんてないねん」
「それが縋る態度か」

 本当にこの人はモテていたのだと、当たり前のことを実感する。「してほしければ、何でもするで、俺」それは償いとか、スキンシップのことを言っているのだろう。だが私の願いは一つである。

「格好良くいてよ」

 治は普通にしているだけでそれをクリアしていることを知っているのか、「おう」と答えた。はたから見たらただのバカップルである。治は私の手を引いて、家の方へと歩いて行った。