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「言っておくけど、私は何もしてないからね」

 保身に走る私を咎める気力もないようだった。伏黒くんは、随分疲れた顔をしていた。津美紀ちゃんが消息を絶って一週間が経つ。他県に進学したとか、妙な事件に巻き込まれたとか、様々な噂が立っている。一応卒業後ではあるものの、私がいじめたわけではない。伏黒くんは暗い目を伏せた。

「アンタにできる芸当じゃない。それにアンタは、こういうことをする人じゃない」

 伏黒くんは何かを知っているのだろう。まあ、家族なのだから当然だ。あれほど私を警戒していた伏黒くんがそう言うのがなんだかおかしく思えた。

「随分信用してくれてるんだね」
「長い付き合いですから」

 伏黒くんが最初につっかかってきてから半年以上が経つ。あれから伏黒くんは、私が津美紀ちゃんをいじめないようにと常に睨んできた。元からいじめるつもりなどなく、ただ津美紀ちゃんが綺麗事を盾に押しかけてくるところが喧嘩しているように見えていただけだ。私は堂々と過ごしていたし、余裕を見せるように伏黒くんに話しかけもした。伏黒くんは嫌そうな顔をしながらも話し相手になってくれた。

「私も君の名前を覚えたよ」

 いつしか伏黒くんは名前を教えてくれた。善人ではない人と一緒にいることは居心地がいいのだという。その、善人か悪人かを異常に気にしてしまうのは津美紀ちゃんという善人と一緒にいることの弊害かもしれない。光のそばにいると、影は濃く見えるものなのだ。伏黒くんは漸く顔を上げた。

「……俺はアンタの名前なんかとっくに覚えてる」

 伏黒くんは嫌そうな顔をしていた。私の名前なんか覚えたくなかったのに、と言わんばかりだ。そんな表情ができるなら大丈夫だろう、と思いつつ、私は伏黒くんがこのまま心をすり減らすことを危惧していた。伏黒くんは、津美紀ちゃんのためなら無限に心配してしまう。今どこで何をしているかもわからない津美紀ちゃんを少し呪った。

「今は少し休みな、恵くん」

 私がやっと名前を呼んでやったというのに、伏黒くんは目を伏せただけだった。私の勇気を返してほしい。私は背を向けて去っていく伏黒くんの背中を見た。津美紀ちゃん一人がいないだけで、ああもなるのかと思った。