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「『好き』って陳腐な言葉ですよね」
「え?」

 私はカルパッチョから顔を上げた。素っ頓狂な反応をしてしまったのは、赤葦さんの言葉が唐突だったからではない。私は赤葦さんとの飲みの約束をする前に、好きだと伝えていたのだ。伝えていた、というより匂わせたと言う方が正しいかもしれない。とにかく、赤葦さんは私の好意を知っている。

「俺のことを好きなら、『好き』以外で表現してみてくれませんか? 興味があります」

 私が何かするより先に、メインのスパゲティが来た。赤葦さんはすっかりパスタを巻くのに夢中になり、私のことなど忘れてしまったかのようである。私としても、間接的に言われる方がよかった。私は恐らく試されているのだ。私と付き合うことをすぐには了承できないが、伝え方によっては考えると。私達の間に暫く食器の擦れる音だけが響く。あとはとりとめのない話しかせず、赤葦さんとの一回目の飲みは終わった。

 次に赤葦さんを誘ったのは、私の用意ができたからだった。私なりの好きの伝え方。出版社の編集を務める赤葦さんに下手な手は通用しない。場所は風情のある寿司屋を指定し、私はカウンター席で襟を正した。

「約束通り、赤葦さんへの好きな気持ちを伝えます」
「はい」

 赤葦さんは落ち着いている。とても告白される人とは思えない。私が恋愛慣れしていないだけで、社会人としては普通なのだろうか。赤葦さんが意外にプレイボーイだったらどうしよう。

 余計な雑念を断ち切り、私は息を吸う。

「ここで一句」

赤葦さん 仕事でいない 一人ぼっち ながながし夜を ひとりかも寝む

 私の耳には、職人が注文を承る威勢の良い声が響いている。少し離れた席ではサラリーマンが部下らしき人に絡んでいる。たっぷりと間を空けて、赤葦さんは顔に手をやった。

「あの、すみません、まさか俳句でくるとは思ってなくて。ていうか、本当に考えてきてくれるとは思わなかったです」

 赤葦さんはおかしい、と言うより申し訳なさそうな様子だ。ひとまず笑われないことはよかったとする。それ以前の問題があるが。

「この結果によって付き合ってもらえるか決まるんじゃないんですか!?」
「いえ、俺は好きですよ」

 再び、私達の時間が止まった。赤葦さんは私を試すことなどしていなかった。別に素敵な表現など期待していなかったのだ。赤葦さんは、元から――。

「百人一首。柿本人磨の引用ですよね」
「あ、はい……」

 適当にグーグルで検索しただけなので覚えてないが、私はとりあえず頷いておく。狐につままれた思いだった。まだ寿司も来ていないというのに、付き合う話はいつのまにか流れているような気がする。オーケーされたのか、されていないのか。赤葦さんが好きなのは私なのか、百人一首なのか。すぐに聞ける甲斐性があれば、私は苦労などしていない。