▼ ▲ ▼


「ほら、ここや」
「わあ……」

 侑に連れられてやってきたのは高層ビルの中にあるレストランだった。さらに侑が予約していた席は、大阪の夜景が一望できる窓際である。私は浮いた気持ちを抑えることもせず、侑に微笑みかけて言った。

「えらいかしこまった店やな、プロポーズでもされるんかと思ったわ」
「まさかそんなベッタベタなプロポーズするわけないやろ!」

 普段侑は適当に街をぶらついて気になった店に入ることが多いが、今日は予約までしている。髪をセットしているのはいつものことだが、服装までレストランに合わせたかのようなスマートさだ。今日祝うようなことは何もない。プロポーズでも始まりそうなシチュエーションだが、侑はここまでテンプレート通りのプロポーズをするような奴ではないだろう。どちらかといえば、夜景の見えるレストランで指輪を差し出すよりその辺の道で泣き縋る方が似合っている。私がそんなことを考えていると知ったら侑は怒るだろうか。でも、侑と結婚してもいいと思っているのは事実だ。

「私は決まったけど、侑、決まった?」
「あ、俺? そやな、決まったで」
「その割にはメニュー見るやん」

 注文は決まったというのに、侑はメニューを広げて目を動かしている。いや、泳がせていると言った方が正しいだろうか。私が指摘すると、侑は勢いよくメニューを閉じて「店員!」と呼んだ。居酒屋ではないのだから、その呼び方はどうかと思う。

「かしこまりました。それではお待ちください」

 流石と言うべき接客をし、ウェイターは去ろうとする。その横顔に侑がやたら目線を送っていた。ウェイターと知り合いなのだろうか。私が不思議に思っていると、急に「化粧直しとかしなくてええんか?」と言われた。

「まだ何も食べてへんから、直さへんけど」
「そか……俺はさっきのウェイターに頼み忘れたもんがあるからもう一回頼んでくる!」
「え、ちょっと」

 制止の声も聞かず、侑は席を立ってしまった。ウェイターなら席に呼べばいいのに、何故侑がウェイターの元まで行くのだろうか。取り残された私は、暇を持て余して大阪の夜景を見ていた。東京ほどではないかもしれないが、大阪の夜景も十分美しい。この中で侑にプロポーズでもされたら、それは素敵な気分になることだろう。自分の世界へ没入してしまった私は、何を考えているのだろうと我に返った。侑がそんなプロポーズなど、するわけがない。

 やがて侑が帰ってきた。心なしかその顔は疲弊したように見える。料理を一品頼むのに、何分かけていたのだろうか。

「ウェイターと打ち合わせでもしてたみたいな顔やな」
「う、打ち合わせなんか何もしてへんよ!?」

 侑の顔は焦っているが、嘘をついているようには見えない。その後も侑がとめどなく話をするので、私はそれに合わせて相槌を打っていた。一流店とあり、料理を出すまでにはそれなりに時間がかかるようだ。私は頬杖をつき、侑を見上げる。

「なーんか今日の侑、怪しいな。いきなりこんな店連れてきて。挙動不審やし」
「何も怪しくなんかあらへんし!」

 私が目を細めて見上げると、侑が大袈裟に立ち上がって主張した。その隙に、侑のポケットから何かが転がり落ちる。落ち着いた色の生地に特徴的な形をした箱は、もうそれとしか思えないのだった。

「侑、あれ何や」
「落とし物とちゃう? あない大事なもの忘れるなんて、うっかりさんもおったもんやな」
「侑のポッケから落ちるとこ見たんやけど」

 恐らく数十万はしただろうそれが、まるで紙屑のように床に落ちている。早く拾い上げなければ、本当に落とし物として店に処理されてしまうことだろう。私は小箱を拾い上げ、よく見えるように二人の間に置いた。

「プロポーズしたかったんやな」

 侑は遂に誤魔化すことを諦めたのか、無言で下を向いている。まさかサプライズがこのような形になると思わなかったのだろう。

「だってプロポーズでもされるか思ったって言うんやもん! そんな冗談言われたら、もう指輪なんか出せへんやん!」
「いいからはよプロポーズし」

 侑が泣き出しそうな顔で小箱を取り私に見えるように開けてみせた時、ちょうどウェイターが顔を出し「先程キャンセルされたサプライズプロポーズ演出ですが、再開なされますか?」と聞いた。侑よ、そんな所まで手を回していたのか。