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 苗字が髪を巻いていた。だから苗字に目が行ったのか、俺が元々苗字を見ているのかはわからない。俺は明かりに惹かれる動物のように、苗字の元へ歩いて行った。くるりとして確かな艶を帯びた髪に、手を通す。苗字の髪は思っていたより柔らかかった。もっと触りたい、と思った。

「佐久早……」

 近くから、苗字の消え入りそうな声がする。俺は我に返った。一体何故、急に恥ずかしいことをしているのだろう。俺はすぐさま手を引き視線を逸らす。俺が気まずいのは勿論だが、苗字はさらに上を行った。気まずい、と言うより照れていると言った方が正しいのかもしれない。そういえば、こいつは俺が好きなのだった。苗字には悪いことをしてしまったかもしれない。迂闊に触るべきではなかった。「期待させるだけさせておいて」と俺を責める、苗字の友達の声が聞こえるようだ。責任を取らなくては。

「触れよ」

 俺は屈んで頭を差し出した。俺の髪は苗字のようにセットしているわけではなく天然パーマだが、まあ少しのごまかしにはなるだろう。一方的に触っておいて終わりとは、少々外聞が良くない。

 屈んだ俺の頭に苗字が手を伸ばした。長らく誰も触れていないそこに、苗字の手が慎重に滑っていく。

 多分、大人になってから恋人や家族に甘える人はこういう気持ちになるのだろう。俺は自分から言ったくせに小っ恥ずかしい気持ちになっていた。では責任の取り方を変えた方がよかったのか。例えば苗字に振り向くというような。

 まだ好きかどうかわからないのだから答えられない、というのが俺の頭の導き出す結論なのだけど、胸はそれに対抗するようにうるさかった。