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「……お前、こんな所で何をやっている」
「へ? あ、たまたま学校の自習室使った帰り! 暑いなって思って涼んでたの!」

 半分本当で、半分嘘である。受験を控え勉強に精を出している私は、自習場所を学校の自習室にした。これは家だと勉強できないとかそういうことではなく、ただ単に部活をやっている牛島君を見たかったからである。勉強に一区切りをつけて校舎を出ると、ちょうど男子バレー部がロードワークへ行くところだった。その勇姿を眺め、牛島君が学校まで帰ってくるのを待っていたのだ。まさか話しかけられるとは思わなかったが。立っている場所が日陰でよかった。牛島君は「……そうか」と言うと体育館へ向かった。その様子に私は胸を撫で下ろす。今回はうっかり牛島君に話しかけられてしまったが、私は牛島君の言わばストーカーだ。恋焦がれてはいるが、現実で付き合いたいとは思っていないし、何か行動に移す気もない。私は牛島君の視界に入らないくらいでちょうどいいのだ。

 その時、牛島君が再び校舎前まで戻ってきた。

「顔色が悪い。飲め」

 その手にはスポーツドリンクと思われるボトルがある。恐らくこれは、男子バレー部で使用しているものだろう。他人のものを勝手に持ってくるとも思えない。これは、牛島君のボトルなのだ。

「いいよそんな、悪いし。今帰るところだから、駅で何か買って行くよ」
「その前に倒れたらどうする。飲め」

 余程酷い顔色をしているのか、牛島君は譲らない。私はどうにか断る方法はないかと頭を巡らせていた。まず男子バレー部の部費で買っているものを私が飲むのも悪いし、それ以上に問題なのが牛島君と間接キスをしてしまうということである。勿論嬉しいことに変わりはないのだが、私は牛島君と間接キスをしていいような人間ではない。

「どうせあと少しで新しいものと入れ替えるところだ。残りは全て飲んでいい」

 牛島君は譲らずにボトルを押し付ける。私はそろりとボトルに目をやった。一生することはないと思っていた間接キスを、してしまうのだろうか。

 結局私は牛島君には逆らえずにボトルを受け取った。キャップを開け、飲み口を見つめる私のことを牛島君はどんな目で見ているのだろうか。牛島君が気付いているかは知らないが、ストーカー女にボトルをやるというのはどういう気持ちだろう。

 口元に近付けるたびに今まで遠巻きに眺めていた思い出が蘇る。遂に、あの牛島君の唇(に触れていたボトル)に触れるのだ。そう思った瞬間、私は手を滑らせた。

「あっ」

 からんと音がして、空のボトルがコンクリートに転がっていた。中身は全てぶちまけられている。私は間接キスに失敗しただけではない。男子バレー部の備品を、無駄にしてしまったのだ。

「牛島君、ほんとごめん! 折角分けてくれたのにこんな、」

 私は必死に牛島君に謝る。牛島君を意識するあまり牛島君の好意を無駄にするなんて、そんな情けない話があっていいものだろうか。間接キスに浮かれてドリンクを無駄にした女など牛島君から見ても煩わしいに決まっている。ドリンクが染みた地面ばかり見ていると、不意に唇に何かが触れた。遠ざかって行くのは、牛島君の顔だ。

「これで、用は済んだだろう」

 牛島君はどこか気まずそうに目逸らしながら言う。私はそれを信じられない思いで見ていた。牛島君は、私の想いに気付いていたのか。私が間接キスばかり意識していたことにも、気付いていたのか。だから牛島君は、キスをしたのだ。私は何も言えないまま、牛島君の顔ばかりを眺めていた。そのうちロードワークから他の部員も帰り、牛島君も何も言わないまま合流した。残された私はボトルを抱えながら、何と言って返そうかとばかり考えていた。