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 治くんのエプロンの端が切れてしまった。治くんはすぐさまソーイングセットを取り出し、素早く縫い合わせてみせた。お昼時の混雑が緩和された、土曜の午後のことだった。

「治くんって手先器用なんだね」

 私が治くんと関わり始めたのはおにぎり宮が開店してからだ。それまではバレー部の派手な人、と遠巻きに見ていたので、家庭的なイメージとは程遠い。治くんは変わったのではなく、私がそういった面を見ていなかっただけかもしれない。

「まあ、家庭科は昔から得意やな」

 治くんはソーイングセットの蓋を閉めると、カウンターに置いた。おにぎりやお茶が並ぶ中でプラスチックのそれは酷く異様な気がした。何かがずれ始めている。抗うこともできず、私は治くんの世界に引きずり込まれる。

「卒業式の前の日も、侑のボタンと俺のボタン替えておいたんやで?」

 治くんは真っ暗な瞳で私を見下ろしていた。

「何で……」

 私が言う。実家には、侑くんから貰った第三ボタンがあった。でもそれは治くんのものだったのだ。私は話したこともない人のボタンを大事にしまっていたことになる。

「苗字さん、侑にボタン貰いに行くと思ったから」

 治くんはおにぎりも握っていなかった。こうして話していて大丈夫なのかと今更ながらに思うが、それほど混雑していないので大丈夫なのだろう。今の治くんは他の客がいてもこうして話を続けてしまうのではないか、という考えが頭に浮かんだ。

「残念やけど、苗字さんが大切にしとったボタンは俺のやから」

 治くんは、愛を語る表情ではなかった。ボタンを替えるくらいなのだから少なからず私に情があるのだろう。でも、今の治くんは過去の種明かしをして、私に復讐しているように見える。治くんではなく、侑くんを選んだ私に。

「今度は何が欲しい? なあ、言うてや苗字さん」

 私は治くんに見下ろされながら、思考の渦に囚われていた。どこからどこまで治くんが仕掛けたものなのだろう。私が卒業後おにぎり宮を見つけたことも、通い始めたことも、全部治くんの計画通りなのかもしれない。急に自分が自分でなくなったかのような、不思議な感覚がする。治くんはじっとりと私を見つめていた。