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「また日本に帰ったら連絡する?」

 東京のど真ん中で、及川はマドラーを何度か動かした。カプチーノの泡は既に大方なくなっている。記憶の中の及川はこれほど小洒落た飲み物を飲む人ではなかった。アルゼンチンはブラジルに近いので、コーヒーの生産が日本より盛んなのかもしれない。

「いい。好きになりたくないから」

 私はフラペチーノを飲み下した。時刻は午後三時だった。私達が再会するのに選ばれたのはただのティータイムだった。もう一日中一緒にいたり、夜を選ぶような間柄ではないのだ。

「もう好きじゃないみたいな言い方だな」

 及川は尖ったような声を出した。それでいて何故今自分と会っているのか、とは聞かなかった。聞いたら私達は黙り込んでしまう。私達の間にあるものを詳細に言語化したら私達は気まずくなるだろう。それでもまた会おうと思うだろう。

「そりゃあ何年も経ってるから」

 何年経っても及川だけを好きでいられるほど若くはない。でも、及川が来ると聞いたら私は彼氏を置いて及川に会いに行くのだろう。変な年の取り方をしてしまった。

「連絡先は消すなよ。また気が変わるかもしれないだろ」

 及川の言い方は、膨大な時間があることを前提にしている気がした。気が遠くなるような時間だ。

「何年後かなぁ」

 私は空を仰ぐ。まだらに雲が浮かんでいる。

「さあ。俺はお前が何歳でも貰ってやるよ」
「言ったな!?」

 及川を好きではないというようなことを先程言ったくせに、私は身を乗り出した。所詮私と及川の関係などそんなものだ。一度好きではなくなったって、まるでガスコンロのつまみを捻るように簡単に恋の炎を燃やせる。

「保険にして婚活頑張れよ」

 及川は一言を残して立ち上がった。飛行機の時間にはまだ早いはずだけど、私と会うのはもう終わりだということだろう。私も重い腰を上げる。次に会うのは何年後だろう、と思いながら。