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「キスさせてくんねぇ?」

 少しの恥じらいを含みつつも言ってのけたデンジに、名前は視線も上げず答えた。

「一回千円ね」
「たっけえ!」

 高校生にとって千円はかなりの額だ。それもデンジのような暮らしをしている者にとっては大金である。名前はデンジを袖にするためにそう言ったのかもしれない。しかしデンジは本気だった。本来、女子とまともにできるかもわからないキス。それが金を積むことで、確実に遂行できるのだ。

 人間椅子をしていたデンジを吉田が呼び出した。吉田は怪訝な様子だ。デンジが女子の椅子になるのは珍しいことではないが、何も一日中しているわけではなかった気がする。吉田の態度に気付いたように、デンジは緩んだ笑みを浮かべた。

「金稼いでんだ。金貯めて名前とキスする」
「どれぐらい稼げたの?」

 吉田は詳細を聞かなかった。聞いたところで、吉田が理解できる範疇にあるとは限らないのだ。人間椅子もその例である。デンジは手のひらを吉田に突き出した。

「まだ五十円。これからだ」

 吉田は腕を組んだ後、片手を顎に当てた。デンジのことは理解できないが、吉田のアドバイスが功を奏したこともある。何故なら、吉田とデンジの考えはお互いが全く思いつかないものだからだ。

「思うんだけど、他の女子にも椅子にしてもらえばいいんじゃないかな。そうした方が早い」

 先程からデンジは、名前ばかり座らせている。デンジは女子ならば誰でもよかったはずだ。まさか、名前に特別な情でもあるのか。そうなったら面倒だ、少し。吉田は目を細める。しかしデンジは、ものぐさに後ろ髪を掻いただけだった。

「あ? でも名前の方が金払いいいんだ」
「そう……」

 吉田は教室内の名前を見る。名前から鋭い視線が飛んできた。全てを言うな、と言うような。吉田は視線を伏せた。キスをしたいのは、デンジではなく名前の方かもしれない。