▼ ▲ ▼

 凛の両親に挨拶がてら、凛の実家に泊まることになった。と言っても私にとってそれは慣れ親しんだ家で、幼い頃何度も裸足で上がったことを思い出す。歓迎してくれた義両親との食事も終わり、私はダイニングで一人座っていた。今は凛が入浴している。流石に実家で一緒に入るわけにはいかないし、家人よりも先に風呂を頂くのは気が引けるので私は待っているわけだ。窓の外に視線を移すと、夏が忍び寄ってきているのがわかる。木の葉の間から、湿った空気が私達の方へ流れている。

「いたのか」

 近くで声がし、私の意識は室内に戻された。ドア近くに、冴がいた。冴は今日いないはずだったが、急遽予定が変わったのだろう。冴は冷蔵庫に近寄り、ポットから麦茶をそのまま飲んだ。

 私はぼうっとその様子を見ていた。凛が私と冴を会わせたくないことは知っている。義実家に泊まるのだって、冴がいないから今日にしたのだ。それでも私は尋ねたくなってしまう。結婚前のこの限られた日に。籍を入れたらもう、私は聞けなくなってしまう気がする。

「冴、私のことは……」
「もう好きじゃねぇよ」

 冴は言ってから、軽く舌を出した。遮るような言葉に、煽るような仕草。普段の冴らしい。冴は私の幸せを祝う気があるのだろう。こちらへ近寄ってものにしようという気配はない。だが、何の傷もつけずに送り出すほど紳士でもなかった。「もう」など、かつて好きだったことを匂わせる言葉を入れたのはわざとだろう。

「結婚前に俺のことばっか考えて凛に怒られろ。そしたら俺は満足だよ」

 冴は軽い足音を立てて去って行った。冴の気持ちは至って健康な好意だった。そしてそれは既に過去のものだった。冴は自分の気持ちを割り切るのが上手いのだ。私は椅子の背にもたれた。どこかで冴が無理に私とキスや何かをするのではないかと思っていた。しかし冴は私が思っているより大人で、私は自分で思うより子供なのだろう。

 冴と入れ違いに凛が風呂から上がってきた。「どうした?」と言うので、私は目を合わせないまま「何でもない」と言った。