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「俺のこと好き? なら付き合ってよ」

及川はそう言ってへらりと笑った。形の良い眉は垂れ下がり、目は私ではないどこか遠くを見ているようだった。及川が見据えているものは何なのか、及川が何を思ってそう言ったのか、私には分かりはしない。今の及川は理解されることすら拒んでいるように見えた。何と言うべきか私が迷っている時、及川が私の肩に額をつけた。

「今日さ、体育でサッカーやったわけ。こんなバカ寒いのに半袖短パンの奴もいて、ホント元気だよねえ。サッカーなんかできるかなって思ったけど、やってみたらシュート二回も決まっちゃって、流石俺って感じ」

及川はとめどなく、それこそ流れる水のようにつらつらと話す。とりとめのないことを、一から十まで。だが及川が真に話したいことがこんなことではないことは知っていた。及川が真に求めていることは私と付き合うことではないことも、とうの昔から知っていた。

「及川」

私が名前を呼ぶと、及川は忙しなく動かしていた口を止める。固く口を結んだまま、及川はまるで叱られる前の子供のようにじっとしていた。そんな及川の背中を、私はそっと撫でた。

「私でよければ、いつでも聞き役になるから」

だから、こうして何もかもが嫌になって喋り倒したくなったら私の元へ来て。及川が内に秘めている本当のことを話す気になったら、私の元へ来て。私は及川の背中を撫でた手を腰の辺りで止める。本当は何かあったんでしょ、私でよければ聞くからモヤモヤを全部話してみて、という風に立ち入られることは及川は望んでいないと思った。私はあくまで及川の求める通りに、何も知らない馬鹿な名前でいればいい。及川が自らのストレスに任せて、私と付き合うなどという滅茶苦茶な方向に進む必要はない。及川は一度強く拳を握った後、「助かっちゃうなぁ、ホント」と呟いた。



あれから及川は、事あるごとに私の元へ来るようになった。本当に落ち込んでいるのだろうなという時から、ただ単に暇そうな時まで、飽きる事なく私にくっ付いて話をしている。よくもそこまで話のネタが尽きないものだと感心してしまうほどだ。勿論私としては及川が無理に私と付き合う方へ話を進めるなどという自傷に近い行為をするよりも、こうして自分を保つための手段として私を使ってくれて嬉しいのだけれど。あと少しの本音を言えば、好きな人に構われて私の心は満たされている。及川のメンタルばかりに気を取られて忘れかけていたが、私は及川が好きなのだ。及川が好きだから、精神的に疲弊した時来るのが私の元で嬉しいと思ったし、今現在頼りにされるのも嬉しい。及川のために話を聞くようなふりをして、本当は自分のためなのではないか。及川の胸が目の前にある時、私はそんなことを考えてしまう。

「今の話、ちゃんと聞いてた?」

私の頭に顎を乗せながら、及川は唐突にそう言った。私はといえば、及川の言う通り思考が別の方へと向かってしまっていたので、及川の話はきちんと頭に入っていない。

「ご、ごめん。もう一回言って」

慌てて謝った私を及川は体を離して一度見下ろすと、笑いながらまた頭の上に顎を置いた。

「あはは。そんな真面目に聞かなくたっていいのに。俺の話」

及川が何か用があって私に話しに来ているわけではなく、ただ単に誰かに聞いてほしいだけだということは知っていた。及川の話すことに、主だった意味はない。それでも私は、及川の一語一句全て受け止めたかった。

「ねえ、何でそんなに一生懸命俺に尽くしてくれるの?」

分かっているくせに、及川はわざとらしく問う。頭の上でグリグリと押し付けられる顎が痛い。私は本当に告白してやろうかと思った。及川の望み通り好きだと言って、この長い間宙ぶらりんになっている気持ちにケリをつけてしまおうかと思った。だけれども好きだと伝えてしまったら、及川は二度と私の元へ来ないのではないかという気がした。だから私は、そっと呟いた。

「私が、凄く親切で優しい女の子だから」

及川は「あはは」と声を出して笑うと、優しい声で言った。

「奇遇だね。俺は凄く親切で優しい女の子が好みなんだ」

及川の体の脇にぶら下がっていた手が、私の元へ伸びる。その両手が私の背中に回った時、私は抱きしめられているのだと直感した。

「ね、付き合おうよ。今度はあんな最低な気持ちじゃなくて、心の底から、お前と付き合いたいって思ってる」

私が断らないことなんか、とっくに知ってるくせに。私がそう言うと、「わかってても怖いものはあるんだよ」と及川が言った。