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 仕事をしていたはずが、気付けば江戸の空の上だった。こうなったのは全て高杉晋助のせいである。料亭で働く私は、それなりに位の高い者同士の会食に給仕することがある。今回私が仕えたのが、高杉達攘夷志士の狙っている幕吏だったという話だ。あれよと言う間に部屋は血に染まり、一部始終を目撃していた他の給仕も殺された。運がいいと言うべきか、私は鬼兵隊の船に連れ去られるに留まった。

 私は窓にもたれて煙をふかす晋助を見た。晋助と私は幼馴染だ。攘夷戦争で散り散りになる前は、付き合ってもいた。もしかしたら晋助はまだ付き合っている気でいるのかもしれない。だが松陽先生の死をきっかけに何も言わず十年近く私を放置しておいて今更付き合っているも何もないだろう。私を鬼兵隊に拉致するのはこれが初めてではない。気まぐれに私を拾い、特に何もすることなく時間を過ごしては江戸で降ろすのだ。晋助が何をしたいのかまるでわからなかった。抱かれもしないところを見ると、私は女とすら思われていないのだろうか。

「情婦ですらないなら、何で私を連れてくるのかますます謎なんだけど」
「風情を楽しむのもいいだろう」

 晋助は相変わらず江戸を見下ろしながら言う。私は郷愁に浸れる思い出のアルバムか何かなのだろうか。私が横目で睨むと、晋助は煙管を持って振り向いた。

「それとも抱いた方がいいかい」

 そう言う晋助は妖艶で、すっかりあの頃と変わってしまったことを思わせる。私と付き合っていた頃は、夜の誘いをするのもセックスをするのもいっぱいいっぱいだったくせに。晋助に言い訳のように抱かれるのも嫌で、私は「いい」と目を逸らした。

「船の景色を味わいつくすことにする」

 晋助はふと笑って、「早く帰るたァ言わねェんだな」と言った。そう言われてしまうと私は何も言えないので、ただ床の間に飾ってある置物を睨む。晋助もそれ以上私を追い詰める気はないようで、煙を吐きながら手招きした。

「来い。ここからだと外の景色がよく見える」

 私はそろりと腰を上げて、晋助の足の中に座る。私を後ろから覆うように晋助が私の肩に手を回した。晋助の中から見る江戸は、それなりに綺麗だった。晋助が壊そうとしているのが勿体ないくらいだ。だがここで私が破壊活動をやめてほしいと言っても、晋助に聞く気はないのだろう。私達は変わってしまった。私は晋助の一部ではなく、過去の思い出にすぎない。その思い出を定期的に見返そうとする晋助のことは、よく理解できない。全てを壊すなら、晋助の過去だって壊すのではないのだろうか。自分の膝の中にいる私すら晋助にとっては壊す対象なのだろうと思ったら、少し悲しくなった。