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 喧嘩というほどのことではなかった。ただ彼氏に不満があって、そのくせに本人には何も言えず、鬱憤を溜めているだけ。その鬱憤が遂に爆発して、私は教室で泣き出した。幸い放課後だったので人はいなかった。私は気が済むまで泣こうと思った。泣いたところでどうにかなるわけではないけれど、とりあえず悩むだけの体力はなくなるだろう。

 嗚咽していたところで、ふと顔を上げる。するとそこには、同じクラスの糸師くんが立っていた。彼にしては珍しい、驚いた顔をしていた(教室でクラスメイトが号泣しているのだから、それはそうだ)。彼は私に存在を気取られたことに気付くと、自分の席まで行ってシューズを取った。戻り際に、私の方まで近寄り、無言で私の頭にタオルを被せた。その表情は少し気まずそうだった。女の子の扱いもわかっていないであろう糸師くんがそうするのが、少し意外だった。

「これ、ありがとう」

 翌日、糸師くんに洗濯したタオルを差し出した。昨日のことは糸師くんの親切として、私の中で消化されている。

「もう泣かないのか?」

 糸師くんはこちらを見た。私が泣いたのは一時の感情の肥大化ではなく、彼氏による慢性的なものだと気付いていたのかもしれない。

「それは……泣くかもしれないけど」

 私が言うと、糸師くんはタオルを受け取らず前を向いた。

「なら持っとけ」

 糸師くんは机の中から教科書を出して、次の授業の準備をしている。あと少しで古典が始まる時間だった。

「泣くのをやめたら返しにこいよ」

 私はそう言った糸師くんを格好いいと思った。恋愛的な意味ではなく、人間的な意味で。しかし彼氏と別れた今、私は思うのだ。単にあれは、私が別れるのを待っていただけではないかと。

「糸師くん!」

 彼が振り向く。私はずるいと言うべきか感謝すべきかわからなくなった。でも心配してくれた彼に無事なことを伝えたくて、Vサインを作った。

「泣かなくなりました!」

 糸師くんは口元だけで笑っていた。