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 教室に入った時、苗字の顔を見てあ、と思った。普段は特に交わらない視線が合わさった。それだけではなく、笑顔になった。俺は少しの照れ臭さを感じて視線をそらす。何でもないように苗字の隣を歩いて自席へ向かう、朝練帰りのことだ。

 俺と苗字はただのクラスメイトだった。特筆すべきことがあるとすれば、俺が昨日苗字に告白したことだろう。返事はまだ貰っていない。「佐久早のことが好きかわからない」というのが苗字の口にしたことだった。まあ、そんなものだろうと思う。

 教室の窓際で、女子が固まって話をしていた。耳を傾けているつもりがなくても、年頃の女子特有の高い声は響くものである。

「そういう名前はさ、なんかないの?」

 俺は体を固くする。苗字の気持ちが聞けるかもしれない。

「何かって?」
「好きな人ができたとか」

 俺の心臓が音を立てて脈打つのを感じる。俺に告白されたと言ってほしいような、ほしくないような、複雑な気持ちだった。苗字は言葉にして答えず、照れたように笑った。

「うふふ」
「何それ」
「いいことがあったから」

 さらに追求する女子の声を聞きながら、俺は戦慄していた。苗字のやつ、浮かれてやがる。俺のことを待たせておきながら、自分は告白されたことを喜んでいるのだ。そんなのもう、答えが出ているようなものではないか。

 その放課後、再び俺は苗字を呼び出した。

「告白の返事、そろそろよくないか?」

 本来、こういった催促をするのもあまり好きではない。必死のような気がするからだ。

「えー、まだ佐久早を好きかわからないし」

 そう言って髪の毛をいじる苗字に、絶対に好きだろうが! と言いたくなるのを我慢した。俺の顔を見て笑っていたのは何なのだ。からかっていたのか。わからないと言うなら、今すぐお前に何かして嫌か嫌でないかで判別させてもいいのだけど。

 とはいえ俺に何もかもを告げる度胸はなく、短く「そ」とだけ言って教室を出ようとした。

「佐久早ー」

 苗字の声が俺を引き止める。振り向くと、苗字は手を口の周りに立てて言った。

「ガンバレ!」

 邪気が振り払われるような爽快さだ。別に俺が頑張らなくても、お前が考えを改めるだけで目的は達成されるのだけど。
 俺は握り拳を掲げた。