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「実はおれ、名前ちゃんのこと好きじゃなかったんだよね」

 唐突な声に顔を上げた。今はラウンジで休憩しているところだった。何故女子に人気の犬飼を独占できているかというと、私達が付き合っているからに他ならない。とはいえ、愛されている自信のようなものはなかったし、彼が好きでない相手とも付き合えるほどの器用さがあることは知っている。視線をやるのみで何も言わない私に犬飼は呆れた顔をした。

「普通怒るでしょ、そこは。だから自己肯定感低いんだよ」
「私のこと自己肯定感低いって思ってたの?」
「あれだけ愚痴ともつかない自己卑下を聞かされたらね」

 私の話を聞いてくれる風を装って、犬飼はそんなことを考えていたのだ。やはり読めない人だと認識を改めた。私の悩みを親切に聞いてくれていた犬飼は全て嘘だったのだろうか。だとしても、私にあまりショックはない。最初から、犬飼が私を好きなはずがないとどこかで気付いていたのだ。

「だから嫌いなんだ」

 犬飼の鋭利な言葉が、刃物のように刺さる。思わず顔を上げると、犬飼はすぐさま笑みを浮かべた。

「いや、今は好きだよ」

 あれだけ言っておいて好きなのかと、また別の驚きが襲う。好きだと言われて素直に喜びだけを感じられないのはどうしてだろう。かといって、自分から別れを切り出す気もないのだけど。

「何でだろうね、謙遜するところはウザいのに名前ちゃんは好きなんだ。不思議だね」

 要するに、私は犬飼の嫌いな要素を持っているが私自身は嫌いではないということなのだろう。人間関係とは不思議なものだ。私が本来苦手であるはずの犬飼と付き合っているのもまた不思議の一つである。私達はお互いに食えない相手だと知っていて、一番距離を詰めている。恋愛になるとどうしても、理屈が通じないものである。