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「御影」

 私が彼の名を呼ぶと、彼は提出予定のノートを出した後腕を組んだ。

「俺のこと下の名前でも君付けでも呼ばないの、苗字くらいだよな」

 その言い方からは、彼の自信が見てとれる。クラス全員から慕われている、または、誰とでも仲良くなれると。生憎私はそういうタイプではなかった。偏差値だけで学校を選んだ。まさか運動も勉強もコミュニケーションも全て得意な人がいるとは思わなかった。

「逆に好きとか?」

 彼はふざけるように言った。その言葉もまた、私と打ち解けるための手段なのかもしれない。軽々しくそういったことが言えてしまうのは、彼がほぼ全校中から好意を集めているからなのだろう。

「ただ女の子風の呼び方に抵抗があるだけだよ」

 私は彼とのコミュニケーションを閉ざすように、冷静に返事をする。彼は不満げな声を出した。

「えー、君とか付けて呼んだら可愛いと思うけどな」

 その言葉に、私の心が揺れる。私だって、可愛いものは好きだ。モテたいとかではなく、自分を高めて満足することが好きだ。

「玲王君」

 声に出してみると、彼はやや驚いたような顔をしていた。

「下の名前でくる?」

 苦笑い。私の気は急速に小さくなった。そのまま彼のノートを握りつぶしそうな私に、彼はおおらかに笑った。

「ごめんごめん、からかいすぎたわ。下の名前で呼んで」

 教室の出口で誰かが彼のことを呼んでいる。彼はそれに返事をして、私の方へ体の側面を向けた。

「俺のこと君付けで呼んだら、きっともっと苗字さん可愛くなるよ。俺が可愛くしてやる」

 多分、魔法にかけられるとはこういうことを言うのだろう。これが恋なのかはわからないけれど、私はは変えられてしまった。可愛くなりたいという思いを、育ててしまった。

 教室を出る彼の背中を見る。これから名前を君付けで呼んだら、そのたびに彼は笑顔を見せてくれるだろうか。