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 移動教室というのは大抵好きではない。教室の座席と違い、誰のものでもない椅子はどのように使われたかわからないからだ。できれば使用前に除菌したいところであるが、いちいちそんなことをしていては授業に間に合わない。仕方なく俺は、化学室の椅子に腰を下ろした。すると斜め前の苗字が、椅子の上にハンカチを敷いているのが見えた。

 その手があったか、という驚きと、同志を見つけた感動。俺は柄にもなく苗字に語りかけていた。

「お前も潔癖なのか? 実は俺もなんだ」

 苗字は曖昧な顔をして頷いた。チャイムが鳴ったので化学室ではそれきりだったが、それ以降俺と苗字は潔癖仲間になった。俺がコロコロの話をすると、苗字も気後れした顔でコロコロをかけるようになった。それから、除菌シートやジェルを見せ合うこともしばしばだった。

 いい仲間ができた。俺は部活へと向かう道すがら、渡り廊下を歩く。今日は晴れていて乾燥していた。渡り廊下や体育館前の通路はみんなが土足でも通るから実は汚い。俺は体育館前の地べたに腰を下ろしている女子を見て眉をしかめた。そのスカートで、俺の席に腰を下ろすなよ。

「苗字?」

 その女子が苗字だと気付いて、俺は目を丸くした。何か事情があるのだろうか、と真っ先に思う。しかし苗字も慌てたようなそぶりで立ち上がった。まるで見られてはいけないものを見られてしまったかのように。

 暫くの沈黙がおりる。これ以上は誤魔化せないと悟ったように、苗字が切り出した。

「佐久早が私を潔癖だと思った時あるでしょ」

 忘れもしない、化学室での出来事だ。苗字は椅子にハンカチを敷いていた。俺は頷いた。

「実はあの時ね、生理だから敷いてるだけだったの」
「……悪かった」

 俺は謝るしかなかった。責めるべきは、俺の無知だ。女子が生理の時ハンカチを敷くことがあるなど、知らなかった。俺は勝手に苗字に潔癖の設定を押し付けていたのだろう。今まで、ずっと。

「何で潔癖のふりなんかしてたんだよ」

 その場で誤解をとけなかったのはわかる。でもその後普通に過ごしていたら、俺は苗字を潔癖だなど思わなかった。苗字は悪戯に笑って答えた。

「それは秘密」

 どこかはぐらかされた気がして俺は反抗心を覚える。だからというわけではないが、俺は一つ忠告することにした。

「そうか。あとさっき地べたに座ってた時、パンツ見えてた」

 苗字がスカートを押さえる。もう立っているので関係ないが、羞恥心があるのだろう。

「嫌なら潔癖続けるんだな」

 俺はそう言って体育館に入った。潔癖を続けてほしいというのは、俺が潔癖仲間を失いたくない我儘であったかもしれない。