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 普段蒸し暑い体育館にいると、冷房の効いた室内でじっとしているのはどうも違和感がある。佐久早は頬杖をつき、前の人物を見つめた。

 インターハイが終わってすぐ、これ幸いとばかりに母親が予備校の体験のチラシを見せてきた。佐久早は行かないと一蹴したが、母親の圧力に逆らえるわけもなく。体験だけで終わらせるという約束で、こうして予備校に通っているのである。

 佐久早を悩ませているのは学校の授業より少し進んだ内容ではなく、前に座る苗字名前だった。先程彼女は赤ペンを落とした。それを拾ってやりたいのだが、問題はどう渡すかだ。苗字は、今日肩が出るトップスを着ていた。オフショルダーとでも言うのだろうか。普段学校でしているように、肩を叩くわけにはいかないのである。そんなことをしたら、苗字の素肌に触れてしまう。思春期の男子である佐久早にとってそれは、少々刺激的な出来事だった。ならば背中を叩けばいいかというとそうでもなく、むしろ肩を出すために胸を強く固定している下着に触れてしまうのではないか、と考えを巡らせてしまうのである。この場に苗字以外の知り合いはいない。拾ってあげて、と頼むわけにもいかないし、どこぞの知らない男に苗字がお礼を言う場面もなんだか癪だ。

 考えた結果、佐久早は椅子そのものを引くことにした。苗字という人間一人を載せた椅子でも、佐久早の腕にかかれば簡単に動いてしまう。

「何!?」

 突然体を動かされ、苗字は驚いた様子で振り向いた。幸い今は休憩時間だから、周りに注目される様子はない。

「最大限の配慮だ」
「嫌がらせでしょ!」

 俺がどれだけ悩んだかも知らないで、と佐久早は文句を言いそうになる。しかしそうしては弱みを晒しているようなものなので、佐久早は素直にペンを拾って渡した。

「ペン落とした」

 苗字はきょとんとしたようにこちらを見ている。

「それだけ?」
「悪かったな」

 ペンを拾うだけで戸惑うような佐久早で。もう少し女子慣れしている奴なら、抵抗なく苗字の素肌を叩くのだろう。苗字は「ありがとう」と言ってオフショルダーの肩を直した。その仕草がやけに、脳内に残っていた。