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 俺は絶対海になど来ないと思っていたけど、来てしまうものなのだな。青い海を前に、俺は妙な感慨に耽っていた。別に、苗字が来ると言わなければ俺は来るつもりなかったのだ。全てはこいつのせいである。俺はパラソルの下で座っている苗字を見た。俺も泳ぎたくはないから、パラソル組である。ある意味計算通りと言える。

 俺も体育座りをしようとしたところで、海から大声が聞こえた。

「佐久早ー! 来いよ」

 海から手を振るのは古森だ。

「行かない」

 俺は教室と同じくらいの音量で言ったが、しっかり古森には聞こえていたらしい。

「泳げないのか?」
「なんだと」

 普段は挑発に乗る俺ではない。でも今は苗字がいる。俺は立ち上がり、上に着ていたシャツを脱いだ。

「これ持ってて」

 そう渡す姿は、まるで彼氏彼女のようではないだろうか。夏に浮かれて少し、そんなことを思ってみる。

 浜辺に戻ると、苗字が俺のシャツを着ていた。まるでそれが当たり前だと言わんばかりの態度に、少したじろぐ。

「水着姿見られたくないから着てろって意味かと」

 そう言って俺を見上げる苗字は、俺が苗字を好きだと思っているのだろうか。

「お前自己肯定感高いな」

 俺は体の水気をきり、苗字の隣に並んで腰を下ろした。再び二人きりになる。まあ、苗字にはシャツを着てもらっていた方がいいかもしれない。

「じゃあ着てろよ」

 俺が言うと、

「本当だったの?」

 とからかうように覗き込んでくる。冗談なら冗談だと言え。俺はペースを乱されているのだろうが、冷静である。バレても別にいいと思っているからかもしれない。

「好きな方に思ってろよ」

 前方の海を見る。こんな喧騒の中にいて、隣の苗字が立てる小さな息遣いが気になって仕方ない。