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 免許をとって五年近く、いまだ無事故だった私の記録を塗り替えたのはほんの些細なことだった。

 確実に左右は確認していた。でも、まるで自分から地面に転がり込んだかのように、細身の男性は私の車の前に現れた。

「大丈夫ですか!? 今救急車を」
「嗚呼、宜しく頼むよ」

 男性は力無く笑ってみせた。救急車を呼んでから検査が終わるまでの時間、私は永遠にも感じる時を過ごした。軽症でも打った場所によれば命に関わることになる。音を立ててドアが開いて、私は医師に駆け寄った。

「どうでしょうか……」
「全くの無傷です。不思議なほどに」

 医師の後ろから歩いてきた男性がウィンクしてみせる。確かに、自力で歩いている様子は元気そうだ。あまりにも元気すぎる。

「一応、連絡先を交換させてください」

 男性は太宰と名乗り、私とアドレスを交換すると楽しそうにステップを踏んだ。心配している自分がバカらしくも感じる。

「何で無傷なんですか?」

 私が問うと、男性はこともなく答えた。

「私は自殺愛好家だからね」

 自殺愛好家? そんなものは聞いたことがない。しかし搬送する前から、太宰さんは包帯を巻いていた気がする。

「私が君に轢かれたのは、君と連絡先を交換したかったからさ」

 太宰さんは画面を見せて、「任務達成」と笑ってみせた。異性と連絡先を交換するためだけに轢かれる人などいるはずもない。だけど目の前の太宰さんを見ていると、嘘だろうと疑うこともできないのだった。それ以外にわざと轢かれるような理由もない。

「治療費で借金地獄になるかと……」

 一気に気が抜けて、私は肩を落とす。私の気苦労も知らず、太宰さんは呑気な声を出す。

「嗚呼、それも良いね。君を金で束縛できそうだ」

 私はじろりと太宰さんを見上げる。本当に私が好きで轢かれたようだ。とんでもない人に好かれてしまったと私は息を吐いた。