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 目の前で瞼を閉じて顔を上げてみせた名前を見て、こいつバカだ、と思った。名前が及川を好きなのは気付いているところである。名前の方も隠す気がないのか、積極的にアピールしにくる。及川に形式ばって告白したり、気持ちを尋ねたりすることはなかったから、一方通行でいいのだろうと思っていた。つまり、この状況は誰かの差金である。

 大方及川の気持ちが知りたいなら目を閉じて待てとでも言われたのだろう。まあ、それは別にいい。及川とて後をくっついてくる名前を可愛く思っているし、キスくらいしてやってもいい。キスだけして弄んだと言われるくらいならば、付き合ってもいいと思っている。

 でも、廊下はないだろう。及川にだって常識がある。人が行き交う廊下で路チューまがいのことをするほどイタイ人間ではないのだ。及川は名前の鼻をつまんだ。

「キス顔晒すんじゃないよ」

 名前は目を開け、唇を尖らせたまま及川を見上げる。

「嫉妬してる……!?」
「呆れてる」

 及川は名前の鼻を離した。名前は漸く普通の表情に戻る。及川は別に他の男に名前のキス顔を見られることに嫉妬などしていない。ただ女の子ならキス顔を見せる相手は大事に選べ、くらいに思っている。

「俺にキスしてほしいなら二人っきりの状況くらい自分で作りな」

 こんな往来のある廊下ではなく、二人きりでやればキスくらいしてやるのだから。名前はわかっているのかいないのか、ぼうっとした顔で立ち尽くしていた。これ以上ヒントをくれてやるつもりはない。及川は名前の横を歩き去った。